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『ぼくのプレミア・ライフ』/ニック・ホーンビィ

アーセナルに「とりつかれた」男、ニック・ホーンビィによる、1968年から92年までにわたる回顧録/スポーツエッセイ。ホーンビィの場合、フットボールが人生の中心、というか、人生≒アーセナルという感じなので、自身の人生を振り返ることは当時のアーセナルを振り返ることと完全に同義になっているのだ。

タイトルこそ『ぼくのプレミア・ライフ』となっているけれど(原著タイトルは"Fever Pitch")、本書で扱われているのはプレミアリーグ創設前の時代ということで、ヴェンゲル監督の築いたアーセナル黄金期よりもさらに以前の話になる。とはいえ、クラブのファンの気持ちというのはいつの時代にも大して変わりないものなのだろう、俺もうんうん頷きながら読んでしまったのだった。

少なくともフットボールに関して、ひとつのチームを好きになるのは、勇気や親切などといったモラル上の選択などではない。それはむしろ、イボやコブのようなもの――体について離れないものだ。夫婦の関係でさえここまでシビアではない。家庭を離れたところで浮気を楽しむかのように、ちょっとトテナムを応援してみたりするアーセナル・ファンなど、ひとりもいやしない。もちろん離婚の可能性はある(あまりに成績がひどければ、見に行くのをやめればいい)。けれど、新しい相手を見つけるなんて不可能だ。(p.47)
ぼくらの多くは選んでファンになったわけではない。アーセナルはただぼくらの目の前に差し出されただけだ。(p.211)
フットボール・チームというのは、サポーターを悲しい気持ちにさせる方法なら次から次へと無数に発明してくれる。ウェンブリーで先制していながら逆転負け。ファースト・ディビジョンの首位を走っていながら最後には転落。アウェイで難しい試合を引き分けに持ちこみながら、ホームのリプレイではあっさり敗退。シーズンなかばまでたっぷり気を持たせ、これは昇格できるかもしれないぞと思わせながら、あとは低迷……それでいながら、こりゃ最悪の事態になるぞと思った瞬間、必ず急に調子を上げてくる。(p.198-199)
ぼくがフットボールを見に行く理由はいくつも存在する。だがエンターテインメントを見ようとは思っていない。土曜日にまわりにいるパニックした憂鬱そうな顔を見わたせば、ほかのファンもぼくと同じ気持ちでいることがわかる。熱心なファンにとって、エンターテインメント・フットボールは、ジャングルの真ん中で倒れる木のようなものだ。どこかで起きているはずなのだが、実際にそれを目にして愛でることはない。(p.212)

たとえグーナーでなくても、このあたりの主張についてはよくわかる、という人は多いのではないだろうか。あるチームのファンであるということはすなわち、そのチームのために、想像し得るあらゆる方法によって失望させられ、悲しませられ、期待させられたかとおもった矢先に意気消沈させられる…という経験を繰り返し続けることに他ならない。栄光や歓喜などといったものは、それらを延々と耐えていった先に、ごく稀に手に入る(かもしれない)類いのご褒美でしかない。なぜそんなチームに忠誠を誓い続けるのかと問われたところで、ファンでない他人にも納得できるように、理由を説明することなどできはしないのだ。