佐藤亜紀のデビュー作。ナチが台頭しつつある二大戦下のヨーロッパを舞台に、オーストリアの没落貴族にしてひとつの肉体を共有する双子、メルヒオールとバルタザールの物語が語られる。肉体はひとつでも、とにかく2人は双子であるので、たとえば二重人格というのとはちょっと違う。メルヒオールの一人称で書かれた地の文章が、いきなりバルタザールに割り込まれたり突っ込まれたりして、その独特な感覚がおもしろい。
メルヒオールが寝ている間に書いておこう。まったく、ひどい文章だ。ここまで五十頁ばかりの間に、一体何回「今にして思えば」をやったことか。ひとごととは言え顔の赤らむ思いだ。確かに現代文学の到達点は君には無縁だろうが、それにしても、もう少し書きようはある筈だ。現代社会に生起する複雑な事象を、ディケンズの時代ではあるまいし「今にして思えば」「神ならぬ身には知る由もなかった」で括ってしまうのには無理がある。ましてそれが自分の身に起こったとなっては。気をつけ給え。自分のことを書こうという時には感傷的になってはならない。書いている側の精神衛生にも悪いし、読み手にはもっと悪い。君が「今にして思えば」をやる度、私は居心地が悪くて落ち落ち飲んでいられなくなる。(p.65)
やがて二人でカフェに出掛けるとき、バルタザールはノートと鉛筆を持っていくようになった。いつもの席に着くと、給仕が葡萄酒のグラスを持ってくる。バルタザールはノートを広げる。私は左手でグラスを、バルタザールは右手で鉛筆を持ち、私は過去を出来るかぎり遠ざけに掛かり、バルタザールは手元に引き寄せて検分し、書き付けた。傍目から見れば、葡萄酒を飲みながら何か書き付けている男であって、これはウィーンのカフェにあっては――おそらく世界中どこのカフェでも、ごくありふれた人物にすぎないだろう。いささか飲みすぎるのは確かにしても。しかし、この人物の中で極限に至る明晰さと人間に可能な限りの酔眼朦朧が併存しているなどと、誰に想像できただろう。(p.105)
上の引用部はちょっとユーモラスだけど、酒に溺れまくりの双子のことばはだいたいが厭世的、退廃的で、小説全体にもその感覚がしっかりと浸透しているところがいい。意匠のこらされた文章はうつくしいし、細部にまで徹底された雰囲気づくりに関しては、もうほとんど完璧なようにもおもえる。加えて、ストーリーはテンポよく、すいすいと進んでいってくれるので、だるい感じもなく、エンタテインメントとしてしっかりたのしませてくれる。ファンタジーな設定と歴史的な題材とがきれいに組み合わさっているのも、読んでいて気持ちがいい。
舞台になったヨーロッパの現代史に関心のある人、“堕落”とか“退廃”なんてことばに、おおっ!って反応してしまう人なら、きっとたのしめる小説なんじゃないかとおもう。