しかし人の生とは、あるいはこの世界とは、そのようなところなのだ。人はそんな安く、うすい生のなかで、人をすきになったり、いいことやわるいことをし、みじめな気分になったり、よりよく生きたいと願ったりする。そんな安さや薄さのなかにこそ、うつくしさがある。それは安く、薄っぺらなものであるがゆえに、はかなく、だからこそうつくしい。
物語のクライマックス、花やアリスがそれら安さや薄さからいったん離れ、小細工や遠まわしないいかたではない、手の内を見せた告白をしなければならない場面がおとずれる。そこでは、今まで隠しに隠してきた自分の持ち札をすべてさらけだして、相手と対峙しなければならない。なんとか相手の領域にはいっていって伝えようとする、懸命なおもいは、繊細だが、切実なものだ。そこには、彼女たちの切実さゆえに、うつくしさがある。状況や展開の安っぽさと関係なしに、単にうつくしさとして伝わってくる力強さがある。
人間なんて薄っぺらい。ぺらぺらだ。けれど、そんななかでもがき、その人なりに必死に生きるところに、人間のうつくしさはある。あるいは、そんななかにしか、うつくしさは存在しない。なんとなく、そんなことをおもった。