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「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」/ポール・オースター

なんとかゼミの発表も切り抜け、あと1こレポートを書いたら冬休み。やったー。って書いてみても、べつにあんまり気分は盛り上がらない。なにしろ、俺はふだんから大して授業にも出てない、だめ大学生なのであって、休みだろうが休みじゃなかろうがあんまり日常生活に変わりはないのだ。ただ、今年がもう終わっちゃいそう、ってことにはちょっと焦りを感じなくもない。ぼーっとしてると、時間が過ぎるのはほんとに早い。

そんなわけで、もうすぐクリスマス。こないだ理系の友達と、「今年のクリスマス、まだノープランだよー。お前はどうすんのー?」「俺、研究室行こうかなー」「えー、まじで!?」「いや、けっこう何人も来るとおもうんだよね。いや、むしろあいつらは積極的に来るよ!」なんて会話をしていたのだけど、世にはびこるクリスマスのうきうき気分とは一味ちがった、でもちょっといいクリスマスの物語、「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」について、今日は書いてみる。

作品概要

作家のポールは新聞社からクリスマス・ストーリーを書くよう依頼されたのだけれど、どうにも書きあぐねている。甘ったるいクリスマス・ストーリーは彼の得意ではないのだ。そこで、ポールは行きつけの煙草屋、オーギーに相談をもちかけてみることにする。オーギーは、もう10年以上、近所の街角のようすを写真に撮りつづけている、それも、毎日きっかり同じ場所、同じ時間に。という、かなりの変わり者である。オーギーは、じっさいにあった話だといって、“ふとした偶然から出会った盲目の老女に、孫とまちがえられたので、そのまま孫のふりをしてクリスマス・ディナーを共にした“という話をしてみせる。ポールは、へえーなかなかいい話じゃない、と感心するのだが、ふとおもう。これは、本当に本当の話なんだろうか??オーギーの表情を見ていても、なんともはっきりしない。

超要約するとこんな話なのだけど、そのなかにこんな一文がある。

誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ。

わかりあえないからこそ、物語を語る

どんな人にとっても、他者とはそれこそ最初から最後まで他者のままであって、どこまでいっても完全にわかりあうことなんてできない。コミュニケーションをとったり、相手の言うことを理解したりはまあできるけれど、その相手がじっさいに感じているそのもの、を理解することっていうのは、ものすごくむずかしい。だから結局、誰しも、自分の感じていることが相手にもきっと当てはまるはずだ、っていう風にある程度信じて、自分のかんがえを相手に当てはめて、かんがえていなくてはならない。

物語とはそうやって、どこかきっと共通点や類似点があるはず、と信じて語るなかで、はじめて力を持ちうるものだ。けっして完全にわかりあうことなど叶わないけれど、でもそういう前提に立ったうえで、どのようにコミュニケーションが可能か、ってことをかんがえること。そこでは、オースターが書いているみたいな態度が求められるんじゃないだろうか。

そして、そんな認識を持った上で語られるクリスマス・ストーリーは、美しいものにもなりうる。絶対的な伝達不可能性という存在を認め、そこでためらいつつも物語を語るとき、はじめてその物語は人の心に響くような、美しさや力を持ちうることになるんじゃないだろうか。そんな気がする。甘ったるいだけのクリスマス・ストーリーっていうのは、たぶん、その認識や逡巡が欠けている。だから切実な感じがしないんだ。そんなふうにおもう。

「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」は、新潮文庫の『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』に収録されているんだけど、いまはアマゾンに在庫がないみたい。けど、この原文と2人がそれぞれ訳したものとが一緒に収録されてる、村上春樹と柴田元幸の『翻訳夜話』なら簡単に手に入るとおもう。あと、『スモーク』って題で映画にもなっていて、それもまたとてもいい出来だった。真実だろうが虚構だろうが、だいじなのは人がそれを信じるかどうかですよね、ってテーマが、複数の主人公の物語として展開されていて、原作の発展型みたいな感じ。ハーヴェイ・カイテルがオーギーの役で、すっごいいい味出してるの。

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