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『高齢者医療と福祉』/岡本祐三

高齢者医療と福祉 (岩波新書)

高齢者医療と福祉 (岩波新書)

1996年、介護保険が導入される以前に書かれた一冊。単なる家族内の問題とかんがえられていた高齢者介護について、福祉として社会制度化する必要を説いている。

昭和30年台頃までは、高齢者は病気で倒れてから数週間のうちに亡くなるようなケースが多く、現在かんがえられるような長期的な介護というものはほとんど存在しなかった、と岡本は言う。(脳卒中であれば発病から1週間程度で亡くなることが多かったし、結核の場合は発見されるまでに時間がかかったため、そこから亡くなるまでの期間も短かった。また、そもそも介護に回す人手自体が足りていなかった、というのも大きい、とのこと。)いわゆる高齢者介護の問題というのは、国民全体の健康状態の向上とそれに伴う平均寿命の劇的な伸長によって、要介護期間がかつてないほどに長期化した結果、新たな問題として浮かび上がってきたものなのだ、ということだ。だから、「昔は、家族内だけでじゅうぶんに介護ができていたのに…」などといったイメージがあるとしても、それは幻想である、と岡本は断じている。

なんとか家族内処理ですませられた「最後を看取る介護」を、そのまま量的にも質的にも異なる今日の困難な長期介護へと敷衍してきた社会通念のために、問題解決へのボタンのかけ違いが生じた。そして高齢者介護は家庭内問題だという認識が、一種のくびきとなって高齢者とその家族の両方をしばり、あとに述べるように、じっさいには年々逼迫の一途をたどっていた長期介護の惨憺たる事情を、強固に家庭内に隠蔽してしまったのである。(p.40)

平均寿命が四〇代でしかなく、生まれた子ども一〇人中、三人が一〇歳までに、五人が四〇代までに死んでしまう、こんな時代に国家によって家族制度が強制された。国家主義的制度と、貧しさに身をよせあって耐える運命共同体として成立した日本の家族の原像は、貧困のタガと家族制度のワクがほどけるとともに幻のごとく消滅しつつある。豊かさと長寿の時代を迎えて、いま私たちには新しい家族関係のありかたが問われているのではないか。(p.44)

要介護状態となった老親の負担を誰が負うべきか、というのはたしかに家族問題ではあるけれど、その負担を家族内で担い切るのが困難なのであれば、社会制度化された外部サービスを利用することによってはじめて家族関係が維持できる、ということになる。「新しい家族関係」とはそういうことだ。

世界の多くの国々において、介護や社会福祉の問題というのは、地方分権で取り組む体制が基本となりつつある、と岡本は言う。そして、公的責任のもとで望ましいサービスレベルの社会福祉が展開されている国として、デンマーク,スウェーデン,フィンランドといった北欧の国々を例に挙げてみせる。これらの国で行われているのは、「すべての経費を公費(租税)で負担し、サービスもほぼ地方自治体直営で給付する」という配給方式だ。行政がほぼ独占的にサービス供給を管理する方式というわけだけれど、豊かな財源がバックにあり、サービス資源が潤沢であるため、利用者の選択範囲が広くなっているのが特徴なのだという。日本のような国と比較すると、福祉サービスの水準が圧倒的に高くなっているのだ。

このような方式が実現可能となった背景としては、選挙の投票率が国政/地方のどちらのレベルにおいても約80%をキープできているということ、そしてその上で、高い税率が合意されているということが大きいとかんがえられる。要は、市民参加型の社会がしっかりと機能しているために、市民的合意によって行政をコントロールできている、という話なのだ。日本でも同様のスタイルの方式(全面的に租税にて社会福祉の経費を賄う)を採用しようとするならば、一定の財源の確保はもちろん、それ以上に、市民の意識改革や、租税や政治への信頼感の醸成といったものが必要となってくるだろう、と岡本は述べている。