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『ローマ人の物語 (3)・(4)・(5) ハンニバル戦記』/塩野七生

ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫) ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫) ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) (新潮文庫)

文庫版3〜5巻では、「ハンニバル戦記」というタイトル通り、ローマに攻め込んだカルタゴの天才、ハンニバルと、それに立ち向かっていったローマの武将たちとの戦いの数々が描かれている。1,2巻で扱われていたような法制度や国家の成り立ちの話は少なく、戦記物に近い内容になっているのだ。

期間としては、ポエニ戦役の開幕からローマがついにカルタゴを滅亡させ、地中海を「われらが海(マーレ・ノストゥルム)」とするまでの130年間を扱っているのだけれど、塩野の記述の大半は16年間続いた第2次ポエニ戦役を描くことにあてられている。「ハンニバル戦争」と呼ばれるこの戦争こそが、ローマを一気に力強く鍛え上げ、地中海の覇者にまで押し上げることになった、というのが本書の主張だと言ってもいい。

ローマ-カルタゴ間の戦争は、当時のヘレニズム世界で行われていたような局地戦ではなく、国と国とが存亡をかけてぶつかり合う総力戦であった。しかも、そんな戦争の相手に、ハンニバルという稀代の名将が出現してしまったわけで、ローマとしてはその国家としての生命力を極限まで引き出さざるを得なくなり、いわば必然的に強くなっていったのだ。古代ギリシアの歴史家、ポリビウスは、そんなローマのことを、「効率がよく精巧無比な戦争機械にも似た、軍隊を持つ国」と書いていたという。

そして、なぜ戦争がカルタゴの勝利に終わることがなかったのかというと、ハンニバルの戦術をローマ側でも積極的に取り入れていったり、ローマの方が常に補給を確保できていたりなどといった要素もありつつ、結局のところ、ハンニバルは戦術家としては超一流だったが、戦略家としてはそこまでではなかった、という理由もあるようだ。塩野はこんな風に書いている。

古代のローマでも、ルキアノスただ一人を除くローマ人全員が、武将としては敵のハンニバルを、救国の英雄であるスキピオより上位に置くことでは一致している。ハンニバルの不幸は、優れた弟子が敵方に出てしまったことであった。
そして、戦略家としてならば、ハンニバルは大きな誤りを犯している。「ローマ連合」の解体が、容易に可能であると見た点である。社会の階級が固定しているカルタゴの人間であるハンニバルにとっては、勝って寛容になり、敗者さえも協力者にしてしまうローマ人の生き方は、理解を越えていたのであろう。(下巻 p.83)
ローマ人は、今の言葉でいう「インフラ整備」の重要さに注目した、最初の民族ではなかったかと思う。インフラストラクチャーの整備が生産性の向上につながることは、現代人ならば知っている。そして、生産性の向上が、生活水準の向上につながっていくことも。
後世に有名になる「ローマ化(ロマンゼーション)」とは、法律までもふくめた「インフラ整備」のことではなかったか。そして、ローマ人がもっていた信頼できる協力者は、この「ローマ化」によって、ローマの傘下にあることの利点を理解した、被支配民族ではなかったかと思う。(上巻 p.109-110)

もちろん、歴史というものは、天才や英雄たちといったタレントだけによって作られるものではないだろう。けれど、本書を読んでいると、いくつかの巨大な軍事的才能が歴史を激しく動かしていた、そのすさまじいまでの熱量が感じられる。ハンニバルをはじめとして、「ローマの楯」ファビウス・マクシムスやクラウディウス・ネロ、そしてスキピオ・アフリカヌスなど、この時代にはなにしろ魅力的な登場人物たちが揃っているのだ。