戦争の最中、疎開する子供たちを載せた飛行機が不時着、南国の無人島に数十人の思春期前の少年たちが取り残されてしまう。大人のまったくいない、ある意味では楽園とも言えそうな南国の孤島で、彼らは自分たちなりにリーダーを決め、ルールを作り、島内を探検しつつ、救助を待つことに。だが、楽しい日々は長くは続かない。やがて彼らの内に潜んでいた邪悪さが姿を表し、それは自尊心や承認欲求と絡まり合って、暴力の連鎖を引き起こしていく…!
人間の本性を暴き出すために、無人島に残された少年たちを主人公にする、という設定は、いま読んでみてもやはりおもしろい。ちょっとしたことからじわじわと野蛮さ、凶暴さがエスカレートしていき、次第に対立する相手を排除するための手段を選ばなくなっていく子供たちの様子は相当に不気味なのだが、でも、こんなの絵空事だよね、と簡単に言いきってしまえないような妙なリアリティを保ってもいるのだ。どんな人間にもその内には邪悪さや暴力性といったものが含まれている、という本作の人間観は、いまなお有効なのだろう。
ストーリーは非常にシンプルで、その分神話的、寓話的な印象が強くなっている。作中で登場する、ほら貝、焚き火、眼鏡、獣、歌と踊り、戦化粧、無数の蝿が群がる豚の頭、といったアイテムたちはいずれも明確に象徴的な意味合いを持たされており、それらが対立し合ったり無効化されたりしていくことで、作品内の文明/野蛮、秩序/混沌、理性/狂気といったパワーバランスの変化が表現されていく。人間社会というのは、欲望や恐怖といった原初的な感情をなんとか制御していくことで成立しているわけだけれど、それがいかに困難であるか、人間とはいかにたやすく闇に飲み込まれうるものであるか、ということがとにかく執拗に描かれている。
「<獣>を狩って殺せると考えるとは!」豚の頭はいった。ほんのいっとき、森とそのほかすべての認識できる場所に、まがいものの笑い声がこだました。「おまえは知っていたんだな。わたしがおまえたちの一部であることを。ごく、ごく、親密な関係にあることを!何もかもうまくいかない理由であることを。ものごとがこうでしかない理由であることを」(p.252)ゲーム終了、とでも言わんばかりの、ものすごく唐突に訪れるエンディングの強引さも、作品の寓話性を高めるのに貢献している。どうかんがえても強引な幕引きではあるのだけれど、後味悪く物語を断ち切るのにはこれしかない、という方法であるようにもおもえて、なんだか納得させられてしまうのだ。