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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』/加藤陽子

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

東大の歴史学教授である加藤が、栄光学園の中高生たちに行った5日間の講義をベースに書かれた一冊。日清戦争から太平洋戦争まで、近代日本の戦争の歴史がテーマになっている。

講義は、加藤が生徒たちに史料(報告書、書簡、日記、地図など)や歴史家の意見を提示しては、いろいろな質問――「(日露戦争前の)ロシアは、日本が韓国問題のために戦争に訴えてでも戦うつもりであったことに、なぜ気づかなかったのでしょうか?」、「イギリスはなぜ、日本が日英同盟の名によって大戦に参戦するのをよろこばなかったのでしょうか?」など――を投げかけ、彼らが一生懸命それに回答していく、という流れで進んでいく。

もちろん、栄光の生徒でしかも冬休みにわざわざ歴史の講義を受けに来るくらいの子たちなので、彼らの回答のレベルもなかなかに高いのだけれど、その回答に対する加藤の返答が素晴らしい。どういう回答であっても、「それは、歴史的な観点ではこのように位置づけられます」、「そういう視点で見ると、こういう風にも考えられますね」といった感じに新たな見方、かんがえ方を提示していくことで、どんどん講義を盛り上げていくのだ。個人的に、こういう「先生」と関わることがなくなってしまってもう10年以上にもなるわけだけれど、やはり優れた先生というのは本当にすごいな、とおもわされたのだった。

加藤が本書で描いてみせるのは、当時の日本の軍部や政治家たちの思考の流れであり、意思決定のプロセスである。それをさまざまな史料を用いながら、内在的かつ論理的に語っていく。加藤の示す流れを辿っていくことで、「日本がかかわった、その時々の戦争は、国際関係、地域秩序、当該国家や社会に対して、いかなる影響を及ぼしたのか、また、時々の戦争の前と後ではいかなる変化が起きたのか」がよくわかるようになっている。丁寧に史料を追いながら、歴史を相対化して見る視点を教えてくれているのだ。

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とくに興味深かった話を1件だけメモしておく。

中国国民党政府の駐米大使だった胡適は、1935年、日中戦争がはじまる前の段階で、「中国を救うためにはアメリカとソ連を巻き込むしかなく、そのためには、まずは中国が日本との戦争を正面から引き受けて、2,3年間負け続けるしかない」と語っていたという。日中戦争が起こった場合、中国軍ははじめから負け続けるだろう。しかし、日本の陸海軍が中国沿岸の港湾や諸省を占領し、長江が封鎖されたとき、日本の兵站は延び切り、その戦力は各方面に分散されることになる。そのタイミングで、ソ連が北方の手薄に乗じ、そして英米が南方の自国植民地への脅威を感じ、日本を相手に太平洋を主戦場にした戦争を始めることになるだろう…と、彼は第二次大戦までの流れをじつに正しく予測していたという。

以上のような状態に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は、「日本切腹、中国介錯」というこの八文字にまとめられよう。(p.384−385)

胡適の覚悟も予測の精度も凄いが、それにしても「日本切腹、中国介錯」というフレーズのパンチ力がもう尋常ではない。

加藤は、「日本でしたら、このようなことは、閣議や御前会議では死んでもいえないはずです」、「私が、こうした中国の政府内の議論を見ていて感心するのは、「政治」がきちんとあるということです」と書いている。まったくその通りだと首肯せざるを得ない。

そうして中国がとことん現実主義的なかんがえ方をしていたときに、日本はといえば、「軍の課長級の若手の人々が考えた作戦計画が、これも若手の各省庁の課長級の人々との会議で形式が整えられ、ひょいと閣議にかけられて、そこではあまり実質的な議論もなく、御前会議でも形式的な問答で終わる」(p.384)という状態だったと加藤は述べている。このあたり、もちろん加藤の主観も大いに含まれてはいるのだろうけれど、国の政治力というか、積み重ねられてきた歴史の差というものを感じないではいられない。