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『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』/スラヴォイ・ジジェク

ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)

ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)

昨年出た、ジジェクによる現代政治論。短く、比較的さらりと読めてしまう一冊だけど、そこはジジェク。歯切れよく好戦的な、いつものジジェク節が炸裂している。21世紀になって起きた、グローバル資本主義における2大ショック――9.11と金融恐慌――を経た、グローバル資本主義の現状を分析し、また、その状況がコミュニズム思想的な視点からはどのように見えるのかを探っていこうとする。

90年代幕開けの時点では、リベラル民主主義が大筋で勝利を収め、グローバルなリベラル共同体の到来はいまや間近である、といった言説が一定のリアリティを持っていたかもしれない。けれど、現時点での我々は、そのような(たとえば、フランシス・フクヤマ的な)政治・経済におけるリベラル・ユートピアなるものは実現されなかった、ということをもうじゅうぶんに知っているだろう、とジジェクは語る。

9.11によってリベラル民主主義の政治ユートピアは崩壊したが、グローバル市場資本主義の経済ユートピアは揺るぎはしなかった。二〇〇八年の金融大崩壊に歴史的な意味があるとすれば、それはフクヤマが夢見た経済ユートピアの終焉のしるしであるということだ。(p.14)

二〇〇八年の金融大崩壊について唯一ほんとうに驚くべきは、それが市場をだしぬけに襲った不測の出来事であったという考えが、いかにもあっさりと受け入れられたことだ。新千年紀の最初の十年をとおして、IMFや世界銀行の会合で何度も出されてきた声明を思い出してほしい。異議申し立ての対象は、いつもの反グローバル化というテーマ(第三世界の国々からの搾取の拡大など)にとどまらず、銀行がありもしない金をもてあそんで経済成長の幻想を生み出していること、このままでは経済破たんは必至であることに及んでいたではないか。(p.22)

グローバルな金融恐慌…この現状が我々に示しているのは、資本主義というシステムそのものに内包されていた問題なのではないか?だが、それに対してこの世界はどのような対応を取ってきただろう?アメリカが行った、莫大な資金移動による緊急援助策についての議論を眺めてみれば明白であるように、資本主義の行き詰まりに対して、我々は"より資本主義を徹底化する"ことで克服を図ろうとしているのではないか?

いったい、なぜそうなってしまうのか?それは、「われわれがかつてないほどイデオロギーに組み入れられている」からだ、とジジェクは言う。

今日、自由やリベラル民主主義の特性とされるすべて(労働組合、普通選挙、万人に対する無償教育、報道の自由など)は、十九世紀から二十世紀にかけて下層階級が長く苦しい闘いの末に勝ちとったものだ。つまり、これらは断じて資本・賃労働関係の「必然の」結果などではない。『コミュニスト宣言(共産党宣言)』が結論としている要求のリストを思い出してほしい。生産手段の私有廃止は例外として、ほとんどは現在の「ブルジョア」民主主義にも広く採り入れられているが、それはもっぱら人民の闘争の結果である。/
資本主義と民主主義を当然のように結びつける者は事実をごまかしている。それはカトリック教会が自らの脅威に対抗し、「元来から」民主主義と人権を擁護する者であったかのように見せかけるのと同じごまかしだ。実際には彼らは、十九世紀の末に民主主義を受け入れた。しかも、そのときも耐えがたい妥協に歯ぎしりをしつ、君主制のほうが好ましい、時代の変化にやむなく譲歩するだけだ、と明言したのである。(p.69-70)

カルロ・ヴェルチェローネの言うとおり、ポストインダストリアル資本主義は「生成する超過利潤」に特徴づけられる。それゆえ直接権限が必要とされる。超過利潤を引き出す(恣意的な)法的条件、もはや市場で「自然」発生しない条件を課すための権限が。
おそらくここに今日の「ポストモダン」資本主義の根本的な「矛盾」がある。理論上は規制緩和や、「反国家」、ノマド的、脱領土化を志向しながらも、「生成する超過利潤」を引き出すという重要な傾向は、国家の役割が強化されることを示唆し、国家の統制機能はこれまで以上にあまねく行きわたっている。活発な脱領土化と、ますます権威主義化していく国家や法的機関の介入とが共存し、依存しあっている。
したがって現代の歴史的変化の地平に見えるものとは、個人的な自由主義と享楽主義が複雑に張り巡らされた国家規制のメカニズムと共存する(そして支えあう)社会である。現代の国家は、消滅するどころか、力を強めている。(p.239)

「かつてないほどイデオロギーに組み入れられている」というのはつまり、我々がかつてないほどにそのイデオロギーを所与のものとして受け取ってしまっている、ということだ。ふたつの危機を経たことで、より一層加速していっているようにおもわれるグローバル資本主義/帝国主義化の様相と、それを受け入れてしまっている我々の盲目とを、ジジェクは鮮やかな手つきで明らかにしていく。

…っていうような現状分析、リベラル民主主義と結びついた資本主義への批判は、相変わらず切れ味鋭く、かなりおもしろく読むことができた。さすがジジェク、って感じ。ただ、そういった現状に対してプッシュされるコミュニズム的な思考法/方法論の方は、どうも具体性を欠いてしまっている感があって。その辺りはちょっといまいちかなーと感じた。