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『白鍵と黒鍵の間に ―ピアニスト・エレジー銀座編―』/南博

白鍵と黒鍵の間に―ピアニスト・エレジー銀座編
ジャズピアニスト、南博のエッセイ。これはおもしろかったー!書かれているのは、主に80年代の彼の活動だ。音校時代にジャズと出会った南は、小岩のキャバレー、東京音大、新宿ピットイン、そして銀座のナイトクラブへと舞台を移しつつ、とにかくピアノを弾きつづける。

バブル期の夜の銀座なんておもしろいに決まってる、って感じだけど、その期待を全く裏切らないようなエピソードが詰まっている。話のひとつひとつがすばらしく鮮烈で(時代が時代だし、舞台が舞台だけのことはある)、わらっちゃうようなところもたくさんあるし、南の若かりしころの屈託が丁寧に描かれているのもいい。加えて、文章そのものにリリカルな味わいがあって、それが引き立てるノスタルジアの感覚もたまらない。押しつけがましくなく、でもちょっとセンチメンタルで、こころの無防備なところにそっとタッチしてくるような。

只々糞を垂れて死んでいくだけではいやだから、僕は人間にできうる何か美しいものをこの世に提供したいと願う。そうでなかったら、僕にとって、この世は暗闇だ。この世は単に不条理に満ち満ちており、本当はみんなが平等なんて嘘っぱちで、どうあれ皆いずれは死ぬのだ。そんな事実を日々想いながら生活することの何という味気なさよ。我々の生きているあいだに、美しい芸術があり、それに対する審美眼があり、自分の住む街の景観を美しくする思いなくして、我々は本当に、最後まで正気をたもてるのだろうか。(p.113)

エッセイのなかでは、“仕事で、誰も聴いていないなかで弾く”ことの葛藤というのが何度も繰り返し書かれている。読んでいてそういう箇所に差し掛かる度に、あーそうだよな、音楽ってぬるいきもちではできないんだよな…、なんて、俺はなんだかしんとしたきもちにさせられていたような気がする。

しかし問題なのは、僕が無意識に、ただ指を動かしながら演奏し、あまつさえそのピアノの音が僕の耳に入ってこないということだった。それはなにも、まわりの喧噪に僕のピアノの音がかき消されているという状況でなくても、自分自身が聴いているようで聴いていない、という状態だったということだ。それはつまり、集中力の問題でもなく、はたまたやる気がないという状態でもなく、ただ自動的に指だけが動いているといった状況である。心の底でこのままではまずいなと思いつつも、僕は「気がついたら」演奏を続けるということを繰り返していた。これはミュージシャンにとって、とても危険な兆候であるということが、後になって分かるのだが、つまり僕は、だんだんとではあったのだろうが、あんなに好きだった音楽、ピアノを弾くことから、無意識的に引きはがされようとしていたのだ。(p.234,235)