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日記を書くこと(その2)

俺が日記的なものをつけるようになったのは、たしか小学校3年だか4年くらい、時期はあんまり定かじゃないんだけど、でもどうして書きはじめたのかってことはよく覚えていて、それは『スパイになりたいハリエットのいじめ解決法』って本を読んだのがきっかけなのだった。いまでも、その児童文学(だとおもう)のストーリーは、なんとなく記憶に残っている。

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主人公のハリエットって女の子(小学生)は、どんなときでもノートを持ち歩いていて――食事中でも、学校の授業中でも、とにかくいつでも――そこに身の回りのいっさいがっさいを描写し、それを上から目線で批評していく、って感じのキャラクターだったとおもう。ハリエットの将来の目標は「スパイになること」なので、身の回りの人々や出来事をよくよく観察して描写し、そのための力を日々磨いているのだ。彼女はわりと性格のひねた感じの子でもあって、たとえば近所のおばさんとか、クラスメイトの行動をよく観察するなかで、その悪口やイタいところなんかも、たっぷりとノートに書いている。

で、ある日のこと、学校でハリエットはノートをなくしちゃうわけ。盗まれた、のだったかも。まあとにかく、それでクラスのみんなにハリエットのノートの中身が知れわたってしまう。ノートにありとあらゆることを描写し、自分の身の回りの人々をコケにしまくっていたハリエットだったけれど、ノートを奪われてすっかり弱体化してしまう。なにしろ、ほとんどの人の、“その人にだけは言ってはいけないこと”みたいなのがズバズバ書いてあるノートだ。ハリエットはクラスでいじめられることになった。数少ないともだちも、ノートに書かれた彼らに対する悪評、悪口をみるにつれ、ハリエットから離れていってしまう。

結局、ハリエットはまたそのノートを使って(たぶん、ノートに「ハリエットくらい注意深く観察していることでしか見えてこないような、クラスメイトのちょっといいところ」、みたいなのを書いて)いじめを解決、よかったよかったー、って話だったとおもう。いや、もしかしたらぜんぜん違うかもだけど、とりあえず俺の記憶ではそんな感じ。

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とにかく、それを読んで、いいじゃんノート!俺もノート書こう!とおもって日記(みたいなもの)をつけはじめたのだった。いじめ解決、の部分の話をいまいち覚えてないところからして、そこはたぶん当時読んだときもあまり印象に残らなかったんだとおもう。ただ、いろんなことをノートに書いてとっておく、ってことにやたらと惹かれたのだけはよく覚えている。もちろん、ハリエットのノートはスパイノートであって日記ではなかったのだけど、起こったいろいろな出来事を記録しておく、って点ではまあ同じようなものだ。俺には、ハリエットみたいにがんがん何でもノートにメモっていく熱心さはなかったし、何も書かない時期だってやっぱりあったけど、なんだかんだで何年も日記を書き続け、10何冊かのノートを埋めていたのだった。

のだった、って過去形なのは、今はもうノートには何も書いていないからで、なんで止めたのかっていうと、ある時自分のノートを読み返してみたところ、まったく緊張感を持たずにだらだらと弛緩しきった文章が、とにかくおもしろくなさすぎたのだった。あと、やっぱ過去の自分って、なんかいろいろと気に食わないしね…。といっても、まあ、今だってこうしてキーボードを叩いているわけで、懲りてない、わけなんだけど。ひとつだけ、ノートに書いていたときと違うところがあるとしたら、今は日記ではありつつも、人に見られること、をどこかで、ちょっとだけ意識して書いている、ってことだとはおもう(これを読んでくださっている希少な方々、ありがとうございます!!)。まあ、だからって、いま、とくに緊張感を持って書いているわけでもないし、たぶん、しばらくして読み返したら、自分にはとても耐え難いものにもおもえてくるんだろうけど…。

って、なんだか話がずれてしまった。いったい何が日記を書かせるのか。日記を書くことへと人を駆り立てるものはなにか。あるいは、日記でもそうじゃなくても、何かそんなようなものを書くことにどんな意味があるのか。それはわからない。いや、もちろん、いろいろと理由をつけることはできる。今日おもったことを忘れないため、とか、文章力をつけるため、とか、誰かに(あるいは、未来の自分に)自分のかんがえたことを伝えるため、とか、まあ何でもいい。でも、そういう理に落ちる理由だけで人の行動の動機が説明できるわけはなくて、そういう説明では汲み取れない要素はいくらでもあるはずだ。というか、自分のきもちがそんなに簡単な理由で説明されることには、やっぱりどこか抵抗がある。ハリエットの本を読んで、へえーなんかいいじゃん、俺も日記書こう!っておもったきもち、そのこころの動きみたいなものは、〜だから、っていうかたちでは説明しきれないはず、っていうか。あ、なんかそれって、すごくあたりまえのことか…。うーん、わからないけど、たぶん、簡単にその意味を説明したり解説できたりするものなんて、たいしておもしろいものとは言えなくて、だから、日記っていう目的のよくわからないものが妙におもしろいのかもしれない、とはおもう。