- 作者: 津村記久子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/05/11
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 49回
- この商品を含むブログ (53件) を見る
それはつまり、どこか"題材に逃げている"ような印象を持ってしまった、ということだ。でも、後半まで読み進めていくうちに、どうやら俺のかんがえはちょっと間違いだったということに気づかされた。
津村はまず、序盤から続く淡々とした描写のなかで、ぱっとしない、人とうまく繋がれない、自分の魅力がどこにあるのかよくわからない、そんな状況の孤独さ、寂しさをていねいに描いていく。俺なんかは彼女の筆致にすごく共感してしまうのだけど――
ファウンテンズ・オブ・ウェインというバンドが好きなんだけど、三枚目の九曲目に「ヘイ・ジュリー」という曲があって、わたしはそれをよく聴いてて。上司に小突きまわされながらくだらない仕事をしている男が彼女に、君がいなければこんなことには耐えられないっていう内容で。わたしはこの男の気持ちがすごくわかるような気がする。ときどき、ぼろぼろに疲れきって帰ってきた時に、背中を撫でてくれるような絵に描いたみたいな女の子がこの世の中にいるのかな、って思う。わたしは、あの男のことがわかるって思うたびに、でも自分には背中を撫でてくれる女の子はいないんだなって思い出すんだよ。じゃあ、わたしはいつかやってけなくなるんじゃないかって。でもそれでもやってくんだろうな結局。そういうもんだと思う。でも、ときどき無性に、そういう子がいたらなって思う。やっていけるとかいけないとかって、そういうのとは関係なしに。(p.205,206)
わたしは、自分に会いたいと思う人などこの世にいないだろうと思いながら生きてきたし、今もそうだ。(p.226)
たとえばこんなところは、もう胸が苦しくなるくらいによくわかる。まったくその通りだよ、俺もちょうどそんな風に感じてる、とかおもう――だけど、この小説についてかんがえるには、それだけではまだ不足なのだ。
と言うのも、津村は孤独と向き合い、その寂しさや諦めの感情を描くのと同時に、もっと大きな悪とでも言うべき問題に、はっきりと対峙してもいるからだ。悪、なんて書くとちょっと大袈裟かもしれないけれど、それはつまり、人間の生における圧倒的な不公平や、持たざる者に対する持てる者の無神経さ、強者が弱者へとほとんど無意識のうちに与え続ける圧力、といったもののことだ。
そのために主人公のホリガイは、よくわからない衝動に突き動かされるようにして、序盤の描写からは想像もつかないようなアグレッシヴな行動をとることになる。まあ、彼女の行動によってその大きな悪の問題に解決が訪れたり、心の平穏が得られたり、というような単純な結末には全然ならないのだけど、でもそれは寂しさのなかでそっと手を伸ばすような感情の揺らぎの微妙さを見つめながらも、その同じ手でせめて何かを叩き割ってやろう、反発してやろう、というような、やけくそ気味でありつつもたしかに強い意志を感じさせるもので、俺は読んでいて圧倒されるような心持ちになったのだった。
読んでいてひたすらたのしい、というわけにはいかないけれど――いろんな意味で痛くて、ぐさぐさと突き刺さったりしてくる――たしかに素晴らしい小説。