福山CINEFUKUミラノ座にて。観客は自分を含めて4人だけっていう、がらがらの映画館で見た。本作は、クリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズ3作目にして完結編。前作『ダークナイト』は、そのちょっぴりインテリ風な佇まいが人気の作品だったけれど、今作はもっとシンプルな、"いわゆるハリウッドっぽいスペクタクル感"の溢れる映画に仕上がっている(もうとにかく、ビルやら橋やらがすごい勢いで爆発しまくるのだ)。肉体的、精神的にすっかり疲れきってしまい、引退して屋敷に引きこもり状態となったブルース・ウェイン。だが、ゴッサム・シティに破滅的な思想のテロリスト、ベインなる男が現れて…!
前作と今作との最大の違いは、敵ボスキャラのキャラクターの濃さの違いだといえるだろう。前作では、ジョーカーというぶっ飛んだキャラクターが物語の中心にいて、そいつの得体のしれなさ、底しれなさこそが作品の軸となっていたのだけれど、今作におけるベインは、キャラクターとして魅力的なところがほとんど描かれていない。それはもう、ほとんどかわいそうなくらいに敵側の描写が貧弱で、いわゆる紋切り型からまるで離れられていないのだ。
代わりに時間を多く割いて描かれているのは、バットマン自身の再生の物語である。一度は敵に完敗し、ぼろぼろになってうちひしがれたバットマンが裸一貫で立ち上がる――文字通り、いっぱい腕立てとかしてがんばる――っていうのが作品のメインプロットなのだ。そういう意味で、『ダークナイト・ライジング』はごく正統派のヒーローものだということになるだろう。
ただ、そういう正統派のヒーロー映画について俺が感想を述べようとするときに問題になるのは、俺がとにかくアクションシーンというやつにまったく燃えられないというところである。ボカボカ殴り合いしたり、爆発から危機一髪で身をかわしたり、ビルから飛び降りたり…っていうのに、まるで興味が持てないのだ。そういうシーンが何分も続くと――もちろん、戦闘シーンは作品のハイライトなので、何分も続くことになるわけだけれど――すぐに退屈してしまう。今作はバットマンが金にものをいわせて作ったメカの登場シーンも、物語の性質上少なくなっている(なにしろ、裸一貫だから)ので、余計にそう感じたのかもしれない。
全体的には緊張感の途切れない、よく練られたプロットだったし、アン・ハサウェイのキャット・ウーマンもキュートだったし、悪くはなかった。でも、もうひとひねりあったら、もっと印象深い作品になったのでは…とおもわないではいられない作品でもあった。