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「鼻」/ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリ

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

ある朝、床屋のイワン・ヤーコヴレヴィチがパンをナイフで切り分けていたところ、何だか固くて白っぽいものが入っている。いったいこれは何だ?と恐るおそる指で触ってみると…!

「かたい!」
そんなふうにひとりごとを言った。
「いったい何だろうね、これは?」
指を突っ込んで引っぱり出してみるってえと、……これがなんと、鼻ッ!……イワン・ヤーコヴレヴィチは二の句がつげない。目をこすって、もう一度さわってみますが――やっぱり、鼻ッ。正真正銘、掛け値なしの、どこからどう見たって、どう転んだって、鼻ッ!(p.11)

「鼻ッ!って言いたいだけじゃね?」っておもわず突っ込みたくなるようなシーンだけど、こんな風に、パンのなかから鼻が出てきたり、鼻が外套を着てペテルブルグの街を闊歩していたり、鼻が鼻の元の持ち主に向かって、「私とあなたとは何の関係もないと思いますが」なんて言い放ったり、とにかく鼻にまつわるもろもろのシュールな展開が繰り広げられていくのが、この短編「鼻」である。

うっかり、「シュール」なんて書いてしまったけれど、じっさいのところ、これはシュルレアリスムの始まりより100年ほども前、1830年台の作品だ。なので、本作のテイストについては「シュール」以外の言葉で形容してあげたほうが適切だろう。でも、うーん、これが意外とむずかしい。なんだろうな、幻想的、ファンタジック、というのはちょっと違うし(神話的な要素とか別世界的なものへの憧憬は少しもない)、風刺的、というのもいまいちピンとこない(何をどう風刺しているのかはっきりしない)。だから…そうだな、これは、夢の論理を使って書かれた作品、なんて風に言ってみるのがいいのかもしれない。

夢のなかって、「たしかに"その人"だと確信できるのに、目の前にいる当人はまるで"その人"の姿をしていない」みたいなことがあったりするけれど、「自分の鼻が外套を着て歩いている」(その間、自分の鼻のあたりは「のっぺりして、つるつる」になっている)のを見ているときの感覚っていうのは、わりとそういう感じに近いんじゃないかとおもう。そういう意味では、本作を構成しているのは夢の論理であり、本作のリアリティを担保しているのは、夢のなかで感じられる類のリアリティだと言うことができそうだ。

ともあれ、まあ、これは単にむちゃくちゃな話として、シンプルにたのしんで読んでしまえばいいのだとおもう。鼻を男性器に見立てるようなフロイト的な読み方、ゴーゴリ自身に関する伝記的な事実から鼻に関する何らかのオブセッションを見出して関連付けてみるような読み方も可能だろうけれど、そういうのはあくまでも二次的な解釈であって、本作をたのしむ上でどうしても必要な要素ということにはならないはずだ。さらさらっと読めてしまう浦の落語訳は、そんな本作によく似合っている気がする。