Show Your Hand!!

本、映画、音楽の感想/レビューなど。

『経済の文明史』/カール・ポランニー

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: カールポランニー,Karl Polanyi,玉野井芳郎,石井溥,長尾史郎,平野健一郎,木畑洋一,吉沢英成
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/06/01
  • メディア: 文庫
  • 購入: 5人 クリック: 36回
  • この商品を含むブログ (50件) を見る

ハンガリー出身の経済学者、カール・ポランニーの論文集。タイトル通り、歴史的、文化人類学的な見地から経済についてかんがえ直してみようという論考集で、予備知識なんかはあまり必要なく読める一冊だ。『新自由主義』で、ハーヴェイが何度かポランニーの名前を取り上げていたので、気になって買ってきたのだけど――本当は『大転換』を読みたかったのだけど、ハードカバーで5,000円近くするので、とりあえずこっちにした――なかなかおもしろく読めた。以下、本書の基本的な方向性が簡潔にまとめられている、第一章「自己調整的市場と擬制商品」について、かんたんにノートを取っておくことにする。

 *

まず、ポランニーは以下のように述べる。

経済システムと市場を別々に概観してみると、市場が経済生活の単なる付属物以上のものであった時代は現代以前には存在しなかった、ということがわかる。原則として、経済システムは社会システムのなかに吸収されていた。また、経済における支配的な行動原理がいかなるものであったにせよ、市場的パターンの存在が経済における行動原理と両立しないということはなかった。(p.31)

いわゆる"市場経済社会"というやつは、あくまでも19世紀以降に発生したものであって、それ以前の社会では、市場というものが経済生活のすべてと緊密に絡まり、それを規定するようなことはなかった、という話である。市場経済社会どっぷりの現在からは、なかなか想像しづらいところではあるのだけれど、歴史的に見れば、こういった社会の構造はせいぜいここ100年ちょっとにおける独特のものに過ぎない、というわけだ。

で、そんな市場のメカニズムは、"商品"という概念によって、無数に存在する産業のあらゆる要因と、その歯車を噛み合わせている、とポランニーは語る。(※ ここでポランニーが定義している"商品"とは、市場での販売のために生産されるもののことを、また、"市場"とは、買い手と売り手の現実の接触のことを指している。)それはすなわち、あらゆる産業のあらゆる要因には、市場が存在しなければならないし、また、それらはすべて、価格と相互作業とを持つ、需要/供給のメカニズムに組み入れられているものだ、ということを意味していると言えるだろう。

ここでの決定的なポイントは、いわゆる財やサービスのみならず、産業のもっとも基本的な要因であるところの、労働、土地、貨幣といったものまでが、市場に組み込まれている、ということである。つまり、もともと、労働、土地、貨幣は、人間によって生産されるもの、すなわち"商品"ではない。それらはあくまで金融なり国家財政のメカニズムなりから生ずるものだ。

もともと、労働は生活そのものに伴う人間活動の別名であるのだし、土地は自然の別名であって人間の作り出すものではない。そして、貨幣とは購買力を示すための代用物に過ぎないものだ。これら、生産されるものでないものを"商品"として扱うことは、本来のあり方からすれば、擬制(フィクション)である、ということになるわけだ。ポランニーは、この3つのうち、とくに"労働"について取り上げて、このように述べている。

労働とは、雇用者ではなく、被雇用者という資格での人間に対して用いられる述語である。その結果、これからあとは労働の組織が市場システムの組織と同時に変化するということになるのである。だが、労働の組織は庶民の生活形態の別名にほかならないから、これは畢竟、市場システムの発展が社会組織自体の変化を伴うことになった、ということである。こうして結局、人間社会は経済システムの付属物と化してしまったのである。(p.44)

というわけで、人間社会は擬制商品に関する市場組織の拡大から己自身を守るために、それらに関する市場の動きを規制する制度を生み出していくことになった、とポランニーは語る。彼の描く経済史は、市場の自己調整システムと、それに対抗する社会の自己防衛運動との競り合いによって表現されることになる。

現代の状況に則して言えば、グローバル資本主義、新自由主義、IMFなんかのふるまいが「市場の無限の拡大の表れ」であり、労働運動、社会主義、ケインズ主義、福祉国家などが「社会の自己防衛」の表れだと言うことになるだろう。

 *

本書では、上記のような方向性を前提に、その詳細が各章で語られていく。元来、人間を行動に駆り立てる要因というのは、飢えと利得という「経済的」な動機だけではあり得なかったということ。貨幣はその起源においては、「交換機能」というものが本質なのではなかったということ。社会主義においては、同一の人間集団の異なった利益のあいだの闘争が社会の、そして経済の基本的な運動原理をなすということ。古代バビロニアの交易活動は、市場交易の発祥と見なされることが多いが、じつはそこには市場なるものは存在していなかった、すなわちそこで行われていたこと市場活動ではなかったということ。などなど。

www.hayamonogurai.net