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"丸刈り謝罪メッセージビデオ"のこと

昨日あたりから、"AKB48のメンバーの女の子が、グループのルールであるところの「恋愛禁止」を破ったことの反省として、自ら頭を丸刈りにして、涙ながらに「ごめんなさい」と言うビデオ"の件がひどく話題になっている。AKBとかアイドルグループについての知識がほとんどない俺にとっても、この映像はちょっと衝撃的だったし、かんがえさせられるところもあったので、ここに所感を記しておくことにする。

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まず、映像を見たときの感想は、"丸刈り謝罪メッセージビデオ"だなんて、まったく、なんて醜悪なんだろう!ってものだった。こうしてひとりの女性を"見せもの"みたいにして辱めを与え、注目を集めようってやり方は、ビジネスの方法としてきわめて下品だし、人を不快にさせるものだ、とおもったのだった。

もちろん、人気アイドルであるところの彼女のふるまいには、かなりの量の金が紐づけられているはずで、だから「運営側」としてはじゅうぶんな計算を行った上で――たとえば、彼女の復活劇のプランを立てたり、精神的なダメージをケアするような方策なんかをじゅうぶんに用意したりした上で――こういう映像をネット上にアップしているのだろうとは想像される。それに、「運営側」の"ビジネスモデル"としては、こうして「不快だ」って意見が多数表明されること、多くの感想が述べられること自体が、この"事件"の注目度を高め、ひいてはグループの存在感を一層大きなものにすることになる、ってことまでが折り込み済みでもあるのだろう。

それはわかる。わかるけれど、でも、こんなやり口を推し進めている人たちは、いったいどういう感覚でいるんだろう?って、いやな気分になったのだった。「いやー、AKBってほんとに阿漕な商売ですね、欲望に直接的に訴えかける感じがやらしいですねー」(←俺はいままでこの程度の感覚だった)で済まされるレベルを、このできごとは、超えてしまっているように感じられたのだった。

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いやな気分になりながらも、落ち着いてかんがえてみると、次第に、"こんなやり口を推し進めている人たち"っていうのは、特定の個人や特定の組織、特定のファン層というよりは、大衆のこと、すなわち我々皆のことであると理解するべきなのではないか、とおもわないではいられなくなってくる。だって、"こんなやり口"がまかり通るのも、AKB的な商法がこれほど成功しているのも、結局のところ、それらの消費者が存在しているからなのであり、また、そういった消費者の存在を許容している社会が存在するからなのだ。

つまり、じっさいに丸刈りを決意し実行したのが彼女自身であったとしても(あるいは、「運営側」の人間であったとしても)、その行為は、いわゆる"大衆の欲望"的なものを内面化した結果として行われたはずだ、ということが言えるのではないか。そして、たとえば、「こうやって話題作りをすれば、みんなそれに飛びつくんでしょ」などといった意見というのは、別に「運営側」に限らない、我々皆の意見である、とかんがえなくてはいけないのではないか。そんな風にもおもえてきたのだった。

でも、そうだとすれば、なぜこの映像は、これほどまでに不快な気持ちを呼び起こすのか?このできごとは、自分たちの欲望が(たとえ無意識的にであれ)もたらした結果なのではないのか??

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そこまでかんがえたところで、ちょうど最近読んでいる、ドストエフスキーの『白痴』に、エリザヴェータ夫人のこんな台詞があったのをおもい出した。

「世間が誘惑に負けた娘をいじめると、あんたたちはそんな世間を野蛮で非人情だと考える。でももし世間を非人情だと認めるなら、そんな世間のせいで娘がさぞかし辛い思いをしてきただろうということも分かるはずじゃないか。もしその辛さが分かるなら、どうしてわざわざそんな娘のことを記事にして世間の前に引っぱり出し、しかも娘をいじめるななどと主張するんだね?正気の沙汰じゃない!虚栄心の塊さ!」(『白痴 2』/フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 河出文庫 p.227)

「世間を野蛮で非人情だと認め」、「そんな世間のせいで娘がさぞかし辛い思いをしてきただろうということも分かるはず」であるにも関わらず、人は「わざわざそんな娘のことを記事にして世間の前に引っぱり出し、しかも娘をいじめるななどと主張」したくなってしまう。人間とは、そういった浅ましい欲望を持った生きものだ、というわけだ。まったくうんざりするようなことだけれど、"丸刈り謝罪メッセージビデオ"の話題の拡散の仕方を見てみれば、そして、自分自身がこの話題に対して取っている行動――まさにいま、こうしてブログにアップするための文章をせっせと書いている――を顧みてみれば、やっぱりこれはある程度本当のことであるようにおもえる。

自分自身がエリザヴェータ夫人の言っているような人間、「虚栄心の塊」であることを改めておもい知らされるからこそ、そして、自らの無意識下にある欲望の後ろ暗さをよくよく見せつけられるような気分になるからこそ、"丸刈り謝罪メッセージビデオ"は人をひどく不快な気分にさせるのかもしれない。そして、それについて何かを(たとえば、自己弁護的な何か、自分の倫理観を再確認するための何かを)言わずにはいられないような気持ちにさせるのかもしれない。そんなようなことを、俺はかんがえたりしたのだった。

白痴 2 (河出文庫)

白痴 2 (河出文庫)