作品概要・所感
チャールズ・シミックによる詩集。散文詩ということで、ちょっとした寓話や短い物語のように見えるものもあるのだが、その実態は、強烈なイメージ同士の衝突によって形作られている。
本書の冒頭で訳者の柴田元幸が書いているとおり、「豚やゴキブリのこと」、「豚のことと天使のことの両方」を書くという、捻くれていながらもキャッチーなところが特徴だと言えるだろう。シミックの作風は、「ホームスパン(手作りの)・シュルレアリスム」と呼ばれることがあるらしいが、本書にも、どこかキッチュだったり素朴だったりする、独特なシュールさを持った詩たちが収められている。
悪夢的なユーモア・静謐さと不穏さ
ボリス・ヴィアンを彷彿とさせる、悪夢的なユーモア
読み進めていくなかでまず連想したのは、ボリス・ヴィアンの作品群だった。シュールさのムードがなんだか似ているのだ。悪夢的でありつつユーモラスで、淡々とした語り口の裏に、激しさや残酷さが秘められている。主観が世界を侵食していったり、形而上学的なものが世俗のレベルへと引きずり下ろされていく感覚なんかも、かなり近しいようにおもえる。
例えば、こんな詩たち。
わが家はひどく貧しかったので 僕がネズミ取りの
エサの代わりを務めなくてはならなかった。地下室に
たった一人でいると、みんなが上の階で歩きまわったり、ベッドで
せわしなく寝返りを打っているのが聞こえた。「暗い、忌まわしい
日々だよ」とネズミは僕の耳をもぞもぞ齧りながら言った。何年も
経った。僕の母はネコの毛の襟巻きをつけて その火花が
地下室を照らすまで それを撫でつづけた。(p.38)
身体の道具化、時間の歪み、貧困のファンタジー化、静かな狂気といった要素が、ちょうど『うたかたの日々』っぽくはないだろうか。
ロシア人の人食い人は イギリス人より たちが悪いか?
もちろん。イギリス人は足しか食べないが、ロシア
人は魂を食う。「魂はまぼろしだよ」と僕はアンナ・
アレクサンドローヴナに言ったが、彼女は涼しい顔で
僕の魂を食べつづけた。
「特上の鴨のコンフィみたいかい、それとも いまだ生息地の
塩水に浸った ホンビノスガイの光り輝く稚貝のようかい?」と僕は
訊ねた。でも彼女はただお腹をさすって、テーブルの向こう側から
僕に微笑むだけだった。(p.66)
「魂」を胃袋で消化する、この不敬で冒涜的なムードもなかなかにヴィアン的だ。
ヴィアンと言えばジャズだが、シミックもまた、「ジャズが僕をアメリカ人に、そして詩人にした」(p.16)と語るほどジャズを愛した人だったらしい。ただし、同じジャズとはいえ、ふたりの嗜好はかなり異なっている。ヴィアンが好んだのはデューク・エリントンであり、シミックの心を捉えたのはセロニアス・モンクだったという。
エリントンの音楽に生を謳歌するような身体性があるとすれば、モンクのジャズには生にうまく馴染めないような思考のぎこちなさが刻まれていると言えるだろうけれど、そんな対比をヴィアンとシミックの作品の感触に重ねてみれば、両者の方向性は似ているようでやはり異なってもいるだろう。ヴィアンの作品が青春の閃光のような鋭さを持った、パステルカラーの悪夢だとするならば、シミックの詩はさしずめ、暗闇に慣れてしまった目が捉える、粒子の粗いモノクロームの悪夢といったところだろうか。シミックの詩は、ユーモラスではありつつも、諦念や倦怠感が折り重なっているようなところがあるのだ。
ヴォルフガング・ティルマンズ的な、静謐と不穏
もうひとつ、シミックの詩を読んでいて想起したのは、ヴォルフガング・ティルマンズの静物写真の雰囲気だった。この詩なんて、なんともティルマンズ味があるようにおもえる。
私はどこよりも小さい
劇場で演じた
窓台の上で
極悪非道の砂利たちが、
ぽつんとひとつ在る
白いパン屑を囲んでいる。(p.46)
ティルマンズは、窓際のコップや食べ残し、何気ない布のしわなどを、まるで世界の縮図であるかのようなムードでもって撮ることがあるが、シミックのこの詩からもそんな雰囲気が感じられる。極端にミクロな視点から、窓台というごく小さな空間を「劇場」と呼び、砂利を「極悪非道」と形容する感覚は、何でもない光景を意味ありげに切り出してみせるティルマンズとどこか重なってみえる。
もう少し言えば、ティルマンズの写真は、ただの静物であっても、孤独や暴力といったものが立ち上がってくる気配を感じさせることがあるだろう。その静謐さと不穏さを端的にシニカルに言葉にしたならば、この詩のようになったりするのかも…などとおもえたりもする。
もちろん、両者は世代も表現媒体もまったく異なるわけで、安易に比較対照できるものではないだろう。ただ、ティルマンズの何でもないものを何でもないまま差し出してみせる態度――それでいて、何か意味深いものであるようにおもわせる態度――というのは、シミックの「ホームスパン・シュルレアリスム」的な作風と響き合うものがあるような感じがしたのだった。
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本作に収められているシミックの詩はいずれもごく短いものだが、ふわふわと軽い感じはしない。たしかにユーモラスだったりキッチュだったりはするし、実際非常に読みやすいのだが、その奥底には、何かずしりとした重さのようなものがある。それは、亡命詩人、歴史の孤児としての彼の記憶、アイデンティティに結びついているものでもあるのだろう。
ただ、シミックがそれを単なるシリアスな悲劇として語ることはない。凄惨な現実をどこかおもしろがってしまうような、ちょっと不謹慎で強靭な生命力、とでも言ったらいいだろうか。その力こそが、彼の詩に、単なるシュールなイメージの飛躍を超えた、独自のリアリティを付与しているようにおもう。
