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『僕の名はアラム』/ウィリアム・サローヤン

サローヤンによる短編集。古き良き、と言っていいような、20世紀初頭、アメリカはカリフォルニアの田舎町での、「僕」と周囲のアルメニア人移民の家族や村の人々との生活を描いている。

なにしろ個性豊かな、ちょっとクレイジーなおじさんたちが多数登場するのが特徴的だ。気が短くて誰が何を話していても「気にするんじゃない」と吠えては話を止めさせてしまうホスローヴおじや、一日中チターを弾いて歌っているだけの情けないジョルギおじ、「史上ほぼ最低の農場主」で「農業をするにはあまりに想像力豊かで、あまりに詩人だった」メリクおじ、東洋哲学を勉強していて「つねに神秘的な活力が解き放たれていて、おじさんがさっと一瞥をくれただけで、大男でもたじろいで目をそらし、喋っていたらあわてて黙り込んだりする」力を持つジコおじさんなどなど。

彼らは、「僕」にとっては、風変わりでキュートなおじさんたちであるのだけれど、しかし、おじさんたちは皆、1915年のオスマントルコにおけるアルメニア人迫害・大量虐殺という、あまりにも重い出来事を背負ってきた男たちでもある。彼らがときおり露わにする、故郷喪失者であることの悲しみや苦しみについても、「僕」の視点から描かれていく。

どこの家にも頭のおかしい者たちの系譜がどこかにあるものだが、いとこのムーラッドは僕たち一族のそういう系譜の当然の継承者と見られていた。彼の前には僕のおじのホスローヴがいた。黒髪で逞しい頭の巨体の人で、サンワキーン・バレーで一番大きい口ひげを生やしていた。とにかく荒っぽく怒りっぽい、気の短い性格で、誰が話していても、そんなもの害はない、気にするんじゃない、と吠えて話をやめさせるのだった。
誰が何を話していても、それで終わってしまう。あるとき、彼の息子アラクが、八ブロックの道を走って父親がひげを当たらせている最中の床屋に駆けつけ、家が火事だと知らせた。するとホスローヴおじは、椅子に座ったまま体を起こし、そんなもの害はない、気にするんじゃないと吠えた。だってあんたの家が火事だって息子さん言ってるんですよ、と床屋が言った。すると彼は、黙れ、害はないと言ったろうと吠えた。(p.19)

物語世界に悪人は登場せず、登場人物たちは、みな大らかで明るく、基本的にポジティブである。それが「僕」の少年時代というノスタルジックなフィルタを通して描かれていくわけで、作品はほとんどファンタジー的、ユートピア的な世界、まさに本作の冒頭に書かれている、「僕が九歳で世界が想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていて、人生がいまだ楽しい神秘な夢だった古きよき時代」(p.15)を作り上げている。それは時折、上述のような重さを感じさせることもありつつも、全体としてはひたすらに眩しく、儚くて美しい。

アメリカの田舎町の日常を描いた連作短編、という意味では、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』とよく似ているけれど、アンダーソンが陰ならばサローヤンは陽と言ってもいいくらいに、物語の傾向は真逆になっている。