本書の冒頭で、「前作『宇宙を語る』より、もっとわかりやすい本を書けると気づき、本書を執筆しました」とホーキングは述べているけれど、相対論と量子論について簡潔な説明をしている前半の2章はともかく、後半に進むにつれて扱われるトピックの難易度はぐんぐんと上がっていき、宇宙ひもや時間旅行、ブレーンの話となると、もうまったくついていけない状態に…。後半は文字通り「目を通しただけ」という感じの読書になってしまい、自分に前提知識がまるで足りていないことがよくわかったのだった。図やイラストがたくさん掲載されてはいるものの、まったく馴染みのない概念を図示されたところでぜんぜんぴんとくることがないし、なにより全体的に抽象的な議論が多い。俺にとってはじゅうぶん過ぎるくらいに難しい一冊だった。
少しでもわかったところから引用しておく。
時間に関するものにせよ、他の概念に関するものにせよ、論理的な科学的理論は、私の考えでは、もっとも実行可能な科学の原理、たとえばカール・ポッパーとその他の人々によって提唱された実証主義者のアプローチに基づくべきです。この考えかたによると、科学的理論は観測事実を記述し、その規則を成文化する数学的モデルです。良い理論とは、簡単な仮説に基づいて広範囲の現象を説明し、検証可能な明確な予言ができるものです。予言が観測と一致しているならば、その理論はテストに合格して生き残ることができますが、だからといってけっして正しいと立証されたわけではありません。一方、観測が予言と食いちがうならば、その理論を捨てるか更新しなければなりません。(p.42-43) もし私と同じく実証主義者の立場を取るならば、時間とは本当は何か言うことができなくなります。できることは、時間についての適切な数学的モデルとして見つけられたことを説明し、それが予測することを述べるだけです。(p.43)ホーキングの研究――たとえば、ブラックホールが量子効果によってごくわずかずつ光や電子を放射していき、長い時間の後には消滅してしまうということ――は、実地で観測することに相当な困難を伴うものだ。だが、実証主義者からすれば、そもそも「論理的な科学的理論」において重要なものは、実証可能な事象のみである。つまり、実験によって理論と数値が合うことだけが問題で、何が本当なのか、何が真実なのか、何が実在するのか、などといったことに関しては、そもそも彼らは問題としていないのだ。
だからこそ、実証主義のかんがえ方からすれば、「時間とは本当は何か」を述べたり立証したりすることはできない、ということになるのだし、また、理論は観測よりも先行しており、いまだ観測できていない「真実」なるものがどこかにある、などと単純にかんがえるのも当然誤りだということになる。私たちが「こういうものだ」とかんがえているものは、せいぜい当面の「テストに合格して生き残ること」ができたものにしか過ぎないのだ。