Show Your Hand!!

本、映画、音楽の感想/レビューなど。

『サピエンス全史』/ユヴァル・ノア・ハラリ

歴史学者による、極めてマクロ的でグローバルな視点から見た人類史。現生人類たるホモ・サピエンスについて、その起源から現代に至るまでを俯瞰して描いている。人類をひとつの生物種として捉え、その歴史を辿っていく点、どのようにして西洋文明がその歴史のなかで覇権的なものになっていったのか、という問いに応えようとしている点などは、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』とよく似ているけれど、本書のほうが論の展開がスムーズで、ずっとリーダブルなものになっている。(『銃・病原菌・鉄』は、とにかくスローペースなのだ。)以下、簡単にノートを取っておく。

 *

ハラリは、人類を人類たらしめる上で、3つの革命が大きな効果を上げてきた、と語る。認知革命、農業革命、科学革命だ。

 *

認知革命は7万年ほど前に発生した革命だ。これは、ホモ・サピエンスが高度な抽象的思考の能力を獲得したことを指す。人類は、いわゆるフィクション、「虚構」を信じるという力(=想像力)を手に入れることによって、社会的協働――多数の見知らぬ者どうしが協力し、柔軟にものごとに対処する――を可能にしたのだ。

「虚構」とは、じっさいには存在しないけれど、多くの人々がそれに同意できるようなもの、あるいは、多くの人々が受け入れることではじめて機能するある種の物語、ルールのようなものを指す。神々、宗教、国家、お金、企業、社会規範、法、主義、価値観などなど、じつにさまざまな「虚構」があるわけだが、これらはすべて人間が創り出したものだ。ここ2,3世紀で最も成功した「虚構」は、資本主義だと言えるだろう。ある意味では、人類史上はじめて全世界を制覇した「虚構」だと言うことができるかもしれない。

人間が世界をコントロールするに至った力の源は、この、多くの人々とフレキシブルに協働する能力によるものだ、とハラリは言う。ホモ・サピエンスがネアンデルタール人など他の類人猿を駆逐するに至ったのも、そしてまた、じつに多様な種を絶滅に追い込み、生態系を破壊してきたのも、この認知革命で「虚構」を信じることによって協働が可能になったからだ、ということだ。

 *

次いで発生したのが、農業革命である。1万年ほど前、人類は、それまで数百万年もの時間をかけて適応してきていた狩猟採集民としての暮らしを捨て、ひとつの土地に定住して農耕を行うようになった。そして農業による富の蓄積によって都市が生まれ、人間の集団としての能力が強化されていった…という見方が一般的ではあるけれど、ハラリはそうではなく、「農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ」と言う。

というのも、農耕民族は、狩猟採集民よりもはるかにコストをかけて農作物を栽培するようになったが、それによって入手できる食料はといえば、量的にも質的にも、狩猟採集民の得ていたそれに比べ、はるかに劣るものでしかなかったのだ。ふつうの農民の暮らしは、狩猟採集民であった頃よりも苦しいものになり、栄養状態はずっと悪いものになった。人口がそれまで以上の勢いで増加することで、大量の貧しい人々が生み出され、また、単一種の栽培によって生態系が脆弱になったり、家畜化したブタやニワトリから感染症が発生するようにもなった。

そのように、古代の人々にとっては「詐欺」でしかなかった農耕だが、やがて、圧倒的な人口の拡大と貧富の差とをもたらした。単位面積当たりに暮らすことのできる人口が急増したためだ。そうして増加した人口を束ねるために、階層制度が生み出され、社会的な搾取がはじまった。階層を維持し、再生産するために、「虚構」は次々に強力なものへと作り変えられていく。貨幣、国家、宗教、そういった概念が生み出されるようになった。

これはある意味で、「作物が人間を家畜化した」のだとハラリは言う。それまで大した繁殖力も持っていなかった小麦や稲といった作物が、人間をうまく利用することで、すさまじい繁栄を手に入れた、そういう意味でも、「農業革命」は「詐欺だった」というわけだ。

 *

そして500年ほど前、ルネッサンス期に発生したのが、科学革命である。これは人間が「物事について我々は無知である」ということを受け入れるところから始まった、とハラリは言う。

科学革命以前、賢者や宗教者は、「知られるべきことはすべて知られている」ことを前提としていた。人間の知るべきすべては聖書やコーランに書かれている、知のすべては神が予め知っている、という前提があったが、それが科学革命によって取り除かれたことで、新たな知の探求が始まったのだ。

自らの無知を知り、探究心に目覚めた人類は、あらゆる分野において貪欲に知識を求めるようになった。知識の追求にはコストがかかるが、それを担保するために、科学、帝国主義、資本主義とが互いに手を取るようにして稼働するようになる。結果、この500年間で世界の人口は14倍、生産量は240倍にまで高まっていくことになったわけだ。

 *

このように人類の歴史を辿ってきたハラリは、最後にひとつの課題を提出する。それは、「歴史が進むにつれて人類はより幸福になったのか?」という問いだ。人類は果たして2万年前よりも幸福なのか?彼の暫定的な回答は、むしろ不幸になっているのかもしれない、というものだ。まあ、そもそも幸福というものは主観的なものであり、基準値からの相対的な変化によって測られるものだ。だから正確なところなど測りようもないといえばそうなのだが、個人主義の発明や、宗教やコミュニティの解体は、現代人を、原始時代や中世の人々よりもより不幸にしているのかもしれない、とハラリは書いている。

 *

さんざん話題になった本書だけれど、たしかに非常に明快で、「人間とは全体としてこういうものだ」ということが腹落ちするようになっているところがよかった。大きな枠組みで体系的に語っていながらも、しっかりとしたストーリー性を持ち合わせているから理解しやすくなっているのだ。もっとも、当然ながら、本書を読めば人間の進化のあらゆる側面がわかる、というわけではない。たとえば、ホモ・サピエンスの「虚構」を信じる力、協働する力が他の生物種を圧倒する原因になった、ということはわかったけれど、ではなぜそういった能力が発現したのか、といった点には、本書ではあまりページが割かれていない。そういった細々した疑問をいろいろとおもいつかせてくれるという意味でも、たのしい読書だった。