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『知的トレーニングの技術 [完全独習版]』/花村太郎

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

「世界の動きが「読める」ようになりたいし、人生を「意味づける」ことができるようになりたい」人のための、「自分なりに世界の知を獲得するための素朴なカリキュラム」としての知的トレーニング、独習術について語っている一冊。

なので、「自分の全生涯にわたる知的プランをできるかぎり明確にしておきたい」(p.24)とか、かなり無茶なことも書いてあったりするのだけれど、じっさいに本書で花村が行っているのは、南方熊楠や本居宣長や森鴎外、ヴァレリーやシュリーマンやレーニンといったレジェンドたちの学習法をネタに、知的トレーニングに関するさまざまな方法を紹介し、それに関する自らの意見をちょこちょこと開陳していく、という程度のものだ。正直、そこまでおおげさなトレーニング方法が語られているわけではない。まあ、読みものとしてもたのしめる、思考法のカタログ、というくらいに捉えておくのがよいだろうとおもう。

個人的にやってみようとおもったトレーニングは、「全集読み」。花村曰く、ある作家の全集のはじめから最後までを「全部」読み通すことこそが、その作家について知る唯一最短のコースである。わかってもわからなくても、毎日一枚一枚全集のページをめくっていくことで、読書力、理解力、体系的な思考力、構想力といったあらゆる面における知力が驚くほどアップする、とのこと。

全集通読には、ひとりの著作家の生涯という問題までふくめて、知的トレーニングのあらゆる要素が動員されるから、これは知的生産のノウハウの全体を代表できるチャンピオンだといってよい。全集という大型の書物を、その著作家の知的全生涯にわたって丸ごとぼくらのアタマに転写すること――本格的知性を育てるために、ぼくらは全集通読の方法をぜひ実行しよう。(p.164)

…いやいや、「その著作家の知的全生涯にわたって丸ごとぼくらのアタマに転写」なんてどうかんがえても不可能でしょ!って感じだが、いちおうこの本の文脈では、転写の際には「活字の行列とはちがったぼくら自身の言葉が混じってしまう」ものだ、ということになっている。つまり、ひとまずは自分なりのレベルで理解していけばよい、ということだ。

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と、ここまで書いたところで、先日本棚を整理していて見つけた「文藝」の2014年5月号に、小林康夫と大澤真幸との対談が載っていて、そこでも全集読みの効用が説かれていたのをおもい出した。

小林 一人の人間がどれくらいのことができるか、その孤独の恐ろしさを本当に知るべき。一人の世界がどういうものか、ターゲットを決して見極めるべきだということ。この経験は若いうちに一度はした方がいいと、痛切におもいますね。
小林 一人の個人が人生をかけて構築する世界の全体の姿、その複雑さ、その一貫性を知る努力こそが、本当は人文的世界へのアプローチとして一番オーセンティックなんですよ。
大澤 だから、誰でもいいから、その人のものを読んでいると、自分の思考とシンクロする、と感じられるような、そんな著者を探し出さないといけない。読みながら、その著者の思考のダイナミズムにつき従っていくと、自分自身が壁を突き破ることができた、と感じることができるような著者を、です。

ある著者の全集を読むということは、その個人の生涯に渡る思考の道程すべてをまるごと身体に取り入れようとするような試みで、だからこそ、それは「知的生産のノウハウの全体を代表できるチャンピオン」足りうる、ということなのだろう。俺はもう若いとも言えない年齢になってきてはいるけれど、全集読みはやっていこう、とおもったのだった。

文藝 2014年 05月号 [雑誌]

文藝 2014年 05月号 [雑誌]