本作のあらすじを語ることは難しい。が、その骨組みだけをシンプルに抜き出すならば、マコンドという名の架空の村を舞台とした、100年間、5世代に渡るブエンディア一族の生き様を描いた物語、ということになるだろう。彼らを主人公にものすごいスピードで語られていく無数のエピソードは、どれもひどく現実離れした残酷さと美しさとを併せ持っており、そのあきれるほど途方もないスケール感は、ほとんど神話的な印象をすら感じさせるほどのものだ。そして、それを描き出すのが、非常に豊かなイメージを湛えた、ガルシア=マルケス独特のリズミカルで色彩的、官能的な文章なのだけれど、とにかくこの、物語の幻想性、神話性と文体の豊穣さとのマッチングが素晴らしい。ああ、この文章でしか、この百年の孤独の物語は語り得ない…!と読者がおもわず確信してしまうような、しびれるような一体感があるのだ。
『百年の孤独』におけるガルシア=マルケスは、ものすごい美文家というわけではないし、信じられないほどの構成力を持った作家というわけでもなければ、誰も扱ったことのなかった新しいスタイルの使い手というわけでもない。ストーリーテリングの手法なんかは、むしろ古典的なタイプだと言ってもいいくらいだろう。だが、ここでは、超現実的なエピソード、豊かな文体、登場人物たちの濃厚すぎるキャラクター、執拗に繰り返される決まり文句、全体に仕掛けられたからくり…といった、作品を形づくるあらゆる要素たちが相互に依存しながら、まさに"この物語を語る"という一点のみに奉仕していくことで、小説全体に圧倒的な推進力を与え、信じられないほどのエナジーをみなぎらせている。『百年の孤独』がこれだけ特別な作品になっている理由のなかでも最大のものが、この、形式と内容との有機的な絡まり合いによる相乗効果だと言うことができるだろうとおもう。
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。(p.12)
この、恐ろしいくらいにパワフルな小説の、一度読んだら決して忘れられない、比類のない書き出しがこれだ。はじめて読むときは、ぎしぎしと軋むようにしか読めないけれど(…ん?と、読み返してしまうかもしれない)、一度通読した読者は、もはやまったく違った深い感慨を抱いてこの一文を読むことになる。