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「キリストのヨルカに召された少年」/フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

12月になってからというもの、仕事がすっかりスーパーハードモードに入ってしまい、土日も含めてまじでほとんど仕事しかしていない生活である。まったく、なんかたのしいこととかないのかねー!とかおもいつつ、たまの気晴らしに電車のなかで青空文庫の短編を読んだりするのが、ちかごろの俺のつましいヨロコビ…というわけなのだけれど、気がついてみればもうクリスマス!ってことで、きょうはドストエフスキーの「キリストのヨルカに召された少年」についてちょっとだけ書くことにする。

ひとことで言うと、クリスマス・イブの晩に、ひもじさと寒さとで死んでしまう少年の話…って、もう、ロシアにはほんとにこういう話が多いのな!去年取り上げたチェーホフの「ワーニカ」も、クリスマス・イブの夜が舞台の、虐げられた子供の物語だったし、きっとこういうの物語がひとつの定型としてあるのだろう。本作も、きっちりとひな型をなぞっている感じの一編で、ストーリーや語り口にとくに変わったところはない。ドストエフスキーの作品だからといって、主人公の少年が社会や神へのうらみつらみについていきなり長広舌をふるい出したり、癲癇の発作で震え出したり、なんてことは起こったりしない。ま、マッチ売りの少女みたいな感じの、ごくごくオーソドックスでちょっぴりかなしい掌編というわけだ(少年は、死の間際に、巨大なクリスマスツリーとそこで幸せそうに過ごす自分と母親、大勢の子供たちの姿を幻視する)。

そこで少年は、自分の指が、そんなにいたいほどかじかんでいるのに気がついて、おいおい泣きながら、さきへかけだした。すると、またそこにも、ガラスの向こうに部屋があって、やっぱりクリスマス・ツリーが立っている。プラムのはいったのや、赤いのや、黄いろいのや、いろんなお菓子が並んでいる。その前には、りっぱな奥さんが四人すわっていて、はいってくる人ごとに、お菓子をやっている。入口のドアは、たえまなしにあいて、おおぜいの人が往来からはいって行く。少年はこっそりそばへよって、いきなりドアをあけて、中へはいった。それを見つけたときの、おとなたちのさわぎようといったら。みんなが、わめいたり、手をふりまわしたりする中で、ひとりの奥さんが、いそいでそばへよってきて、少年の手のひらに一円銅貨をおしこむと、自分でおもてのドアをあけて、少年を追いだしてしまった。
少年は、びっくりぎょうてんした。そのはずみに、銅貨がすべり落ちて、入口の石段でちゃりんと嗚った。まっかになった指はまげることができず、銅貨をにぎっていられなかったからだ。

これは、クリスマスの明るさ、暖かさに惹かれておもわず民家に近づいていった少年が、無情にも追い返されるシーン。ずいぶんあっさりと書いてあるし、いわゆるお定まりのシーンとも言えるとおもうのだけれど、ラスト一段落のあっさり感なんかはやっぱり切ない。

そうそう、タイトルにもなっている、"ヨルカ"っていったい何なのよ?とおもって調べてみたところ、どうやらこれは、子供たちのために開かれる、クリスマス/お正月パーティみたいなものであるらしい。大きなツリーのある広間に子供たちと両親たちとが集まって、仮装したり歌を歌ったりコンサートを聴いたり劇を見たりプレゼントをもらったりする、そういうパーティ。そもそもヨルカ(новогодняя ёлка)というのは、ロシア語でもみの木/クリスマスツリーのことを示す単語らしく、そこからこのパーティ自体も"ヨルカ"って呼ばれるようになったのだとか。あー、俺もとっとと仕事終わらせてヨルカ的な集いとかに行きたいね、まったくもう!