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『方法序説』/ルネ・デカルト(その3)

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

さて、先にデカルトが定めた4つの原則のうちのひとつには、「わたしが明証的に真だと認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」というものがあった。けれど、はっきり真であるとわからない限り何ものも受け入れられないとなると、とうてい社会的な生活を営んでいくことなどできはしない。とりあえず日常生活を大過なく過ごしていくための、道徳の規則がなくてはならないだろう、とデカルトはすばやくフォローを入れている。自分の思想、思考のもとになっている部品をひとつひとつ点検し、立て直していくあいだにも日々の生活がなくなるってわけではないので、暫定的なふだん用のモラルの基盤が必要だろう、というわけだ。

そんな暫定状態におけるデカルトの格率というのは、以下の通り。

第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うことだった。その際、神の恵みを受けて子供のころから教えられた宗教をしっかりと変わらずに守りつづけ、他のすべてにおいては、わたしが共に生きなければならない人のうちで最も良識ある人びとが実際に広く承認している、極端からはもっとも遠い、いちばん穏健な意見に従って自分を導いていく。(p.34,35)

第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。この点でわたしは、どこかの森のなかで道に迷った旅人にならった。旅人は、あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならないし、まして一カ所にとどまっていてもいけない。いつも同じ方向に向かってできるだけまっすぐ歩き、たとえ最初おそらくただ偶然にこの方向を選ぼうと決めたとしても、たいした理由もなしにその方向を変えてはならない。(p.36,37)

第三の格率は、運命よりもむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのち成功しないものはすべて、われわれにとっては絶対的に不可能ということになる。(p.37,28)

もちろん、これらはすべて暫定的な規則であるので、たとえば、「法律と慣習」、「良識ある人びとの意見」、はいずれ検討の俎上に載せられることになるわけだし、自分が従っていた意見よりももっと優れた意見であると理性が正確に判断できるものがあれば、たとえ道なかばであったとしても、べつの道を行くために方向転換することだってあり得るわけだ。デカルトの言う理想――人が自らの理性と判断力とをじゅうぶんに駆使し、ふるまうことができる状態――にその人が近づいていくにつれ、これらの規則は(常に少しずつ修正が加えられながら)絶対的な道徳規則に接近していくことになるのだろう。

学問的な研究の話の途中で日常生活におけるモラルみたいな話が出てくるのは唐突な感じもするけれど、デカルトの、論を進め実践していくうえでの慎重さ、周到さが表れているようでちょっとおもしろい。でも、第二とか第三の格率なんて、わかっちゃいるけど、完全に実行するのはものすごくむずかしいことだよなー。