Show Your Hand!!

本、映画、音楽の感想/レビューなど。

日記を読むこと

きょうは大晦日。2010年最後の日。年明け前にやっておくべきことと言えば大掃除だよね…ってことで、はてなアンテナの整理をしようとおもい立ったのだけど、いつの間にやら更新されなくなった日記の多いこと多いこと!俺のはてなアンテナには120ちょいのブログが登録されているのだけど、その内の40くらいはもう半年以上更新されておらず、さらに30くらいはごくたまにしか更新されない日記になっていることがわかったのだった。

たしかに、ここ2年くらい"twitterに流れていってそのままブログを書くのをやめちゃう人"が急増している気がしていたけど、まさかこれほどとはね…って、ちょっとさびしい気持ちになってしまった。twitterもいいけどさ、やっぱり俺はつぶやきより長い文章の方が好きだな。

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いったい何がたのしくて他人の日記なんて読むのか?他人の日記で何を読みたいのか?ということは、以前にも何度か書いたことがある気がする。俺の場合は、自分と同じように本や映画や音楽の話をしている人の日記がとくに好きで、「今日はお寿司を食べに行ってきましたー。サーモンらぶ」みたいな日常のいろいろを書いている日記(や、そういうのもぜんぜんきらいではないのだけど…)よりは、ついつい感想・レビュー系のものばかりを読んでしまいがちなのだけど、そこにどんなものを求めているかっていうと、それはきっと、日記の記述者と対象の作品とがいったいどんな関係性にあるのか、ということなんじゃないか、って気がする。

小説や映画で描かれる物語やイメージにしても、音楽におけるメロディやグル―ヴにしても、ある対象について言葉にしようとしたところで、その対象物そのものを表現することはどうしたって不可能だ。物語や音楽は、読んだり見たり聴いたりしているその時間の流れのなかでだけ存在できるもので、人はあくまでも爾後に、それらについての感想を述べることしかできない。誰がどのように述べる言葉であっても、それは対象そのもの、対象のすべてではありえず、せいぜいちょっとした補足――あるいは単なる蛇足――である他ないわけだ。まあ、あたりまえのことだけれども。

だから、小説や映画や音楽について触れられた言葉に対して求めるべくは、その言葉を発した人が、どんな風に対象と向き合ったのか、そこでどんなことをかんがえたのか、ってことになる。少なくとも、俺はそんな風におもっている。そうして、記述者の数ぶんの方向から、無数に存在する作品を見つめていくことで、いつか自分もまともな記述ができるようになるかもしれない、作品が持つふしぎな魅力のその源泉に、少しでも近づけるようになるかもしない、なんてかんがえたりもしているのだ。

もちろん、この忙しいときにどうして寝る時間を削って読んだり聴いたりしているんだろう俺は?っておもうことはある(そういう気持ちが強い時期には、この日記も更新されない…)。しかも、ときどきではなく、わりとしょっちゅうある。でも、そんな疑問を解き明かすためには、きっともっと読んだり聴いたりするしかないのだろうともおもう。読んで、見て、聴いて、人の言葉を聞いて、少し言葉にして。そうすることで、このいっけん無意味な――少なくとも、換金可能性については極めて低い――ものたちが、ごくまれに放つ、眩しいくらいの輝きに一歩ずつ近づいていくしかないのだろう。そんなことを、ひさびさにアンテナを整理しながらかんがえたのだった。

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…って、こんなことを書いているうちにすっかり年を越してしまった!もう2011年ですね!こんな僻地にわざわざお越し下さっているみなさま、ときどき星やコメントをつけてくださったりする数少ないみなさま、明けましておめでとうございます。そしていつもありがとうございます。今年がみなさまにとって、おもわずジャンプしたくなっちゃうくらい素晴らしくハッピーな一年になりますように!!