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グリックのこと

この頃、亡くなってしまった人のことをよくかんがえる。それは、いまみたいな会社と家とを往復するばかりの生活をしていたらすぐ老人になっちゃいそうだ、っておもうからかもしれないし、いかにも秋らしい澄んだ水色の空に感傷的な気分になってしまうから、あるいはただちょっとだけ疲れているせいなのかもしれない。ただ、いなくなってしまった誰かのことをかんがえるとき、いつも同時にシマリスのことをおもい出してしまう。今日はそのことについて書くことにする。

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以前、といってももう15年くらいも前のこと、小学校の3年か4年のころに、シマリスを飼っていたことがある。うちはずっとマンション住まいだったから犬とか猫とかを飼うことはもちろんできなくて、でも俺も妹もなにか動物を飼いたい、ちいさくてかわいい生き物といっしょに暮らしてみたい、っていう欲はなんとなくずっと持っていて、散々親にねだった挙句に、なにかと交換条件で――テストで100点を何回取ったらとか、バイオリンの課題曲を終わらせたらとか、水泳のバタフライの級を合格したらとか、たぶんそんなところだったろう――ようやく飼うことを許してもらえたのだった。ハムスターでなくシマリスだったのは、なにしろリスのほうがずっとかわいいじゃんね!というおもいがあったからで、それは当時シマリスが主人公の物語がすごく好きだったからだ。

とにかくそういうわけで、もうすぐ春が訪れそうな、でもまだまだ結構冷える、って季節のある日曜の午後に、そのシマリスはグリックという名前を与えられて我が家のリビングの住人となった。彼と過ごした時間はあまりにも短くて、いまとなっては記憶の断片がいくつか残っているばかりなのだけど、はじめて家に来たとき、小さく丸くなって震えているようで病気じゃないかと心配したこと、毛はひどくふわふわとしていて触ると気持ちよかったこと、でもいかにもやわらかなその尻尾に手を伸ばそうとするとものすごく嫌そうにしたこと、図鑑で見たどんなシマリスよりもきりっと引き締まった顔をしていて、なんてイケメンなんだおまえは(そんな言い回しは当時なかっただろうけれど)なんておもったこと、籠から外に出されると手に乗ったり肩に乗ったりなんて媚びたことはまったくせず、ひたすら家じゅうを駆け回っては散らかしまくるワイルドな性格だったこと、その後戸棚の後ろの狭いスペースにもぐり込んでなかなか出てこなかったこと、そんなことがなんとなくおもい出される。

グリックについておもい出せるまともな記憶はあともうひとつだけで、それは強い日差しがマンションの2階の部屋にまでぎらぎらと降り注ぐ、とてもとても暑い日のことだ。俺は公文だか日能研だかの夏期講習に行っていて、夕方に家に帰ってきた。母さんと妹は買い物にでも出かけているのか家におらず、ただいまーってリビングに入ったときの静けさを、自分の声が無駄に響く感じを、妙にリアルに覚えている。リビングはしんと静まり返っていて、いやいやそれはおかしい、って気づいたのは、あっついなー、アイス食べよーって冷蔵庫のドアに手をかけたときだった。心臓をひんやりとした手で撫でられたような、内側からぶるっとくる漠然とした恐ろしさを感じて、ああこれが冷汗をかくってことなのか、俺はじめて冷汗がどういうものなのかわかったよ、なんておもったような気がするけど、これはさすがに記憶の捏造なんじゃないかって気もする。冷蔵庫の前を離れ、部屋の隅にある籠をのぞいてみる。おもった通り、グリックはいない。というか、そこには何もなかった。ひまわりの種やらエサ箱やら、ちょっとした遊具やら、そういったこまごましたシマリスの住居を構成するパーツの一切がなくなっていて、ただ空っぽなのだった。

強く覚えているシーンはそのくらいで、それから後の記憶はぼやけてしまっている。俺は、神様的な何かにお願いをしようとしたかもしれないし――ああ神様お願いします、何も悪いことが起こっていませんように、とか――、あるいはとくに何をかんがえるでもなく、いつも通りにスーファミを箱から出して電源を入れていたのかもしれない。いまおもい出せるのは、日が沈みきった頃に母さんと妹が泣きながら帰ってきて、グリちゃんがしんじゃったー、いまアスレチックの奥の森に埋めてきたー、って言ったこと、そして俺はずいぶん冷静にその事態を受け入れた、ってことくらいだ。彼は暑さにやられてしまったらしい。

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グリックのことをおもい出すたびに、悲しいというより、ちょっと後ろめたいような気分になる。それは彼の死を看取れなかったから、というだけではなくて、死の知らせにそうかやっぱり、とおもってしまったことに、彼のために少しの涙も流すことがなかったことに、そして彼の死を体の底から実感できなかったくせにそれをあっさりと受け入れてしまったことに、罪悪感に似たようなものを感じているのかもしれないとおもう。そうして、それから年を経るごとに時折訪れる誰かの死にも、まるで向き合えていないんじゃないか、って気までしているのだ。いや、もちろん、そんな自分の不感症をシマリスのせいにするなんてばかげているのはわかっている。ばかげているどころか、卑怯であるようにもおもう。でもやっぱり、それはなんていうかちょっと恐ろしいことでもあって、だから俺はいなくなった人のことばかりかんがえているのかな、なんて最近おもったりもするのだ。

グリックの冒険 (岩波少年文庫)

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