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『闇の奥』/ジョゼフ・コンラッド

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

黒原敏行による新訳。ぞくぞくするような語り口が魅力的な、濃密でパワフルな中編だった。ベルギーによるコンゴの植民地化によって原住民とヨーロッパ人の双方が被ることになった不気味な変化を探ろうとする、ポスト・コロニアリズム的な小説として有名な本作だけど、それと同時に、得体のしれない力やべっとりとした恐怖、どういうわけか逃れることのできない狂気について扱った多くの物語の原型になっているのが感じられる作品でもあった。

コンゴで誰もを圧倒するような権力を誇っていたクルツだけれど、クルツが実際にどういう行動をとったのか、彼の何が人に強烈な感銘を与えたり恐れさせたりしたのか、といったことについて、具体的に語られていることはほとんどない。ただただ抽象的に、クルツってのはとにかく偉大で恐ろしいやつだ、って感じに書かれているところがほとんどなのだ。ふつうにかんがえれば、そんな恐いとか凄いとか無闇に連呼されてもな…、って、クルツという人物の実在感や小説としての説得力が減少していってしまいそうなものだけど、この作品においてはぜんぜんそんなことはなく、クルツ周辺の人々が彼のことを語るその言葉の熱量でもって、彼の人となりの不気味さ、どこか人を超えてしまっているイメージが立ち上げられていくのがはっきりと感じられる。

クルツは豊かな才能を備えた人物だったが、そのすべての才能のうち、最も顕著で本当に存在感を持っていたのは、語る力、その言葉――表現する能力、人を混乱させ、啓蒙する、とびきり高尚でありながら卑しむべきもの、脈打つ光の流れ、あるいは見通せない闇の奥から発する欺瞞の流れだったんだ。(p.117)

『クルツさんのような人にとってこういう生活がどれだけ苦しいか、あなたは知らないんです』とクルツの最後の弟子である青年は声を強めた。俺が、『君はどうなんだ』と訊くと、『僕!僕ですか!僕は単純な人間です。偉大な思想なんてありゃしない。誰にも何も要求しません。よくまあ僕なんかと比べて……』感情が溢れすぎて言葉に詰まり、急にがっくりと力を落して、『もうわからない』と唸った。(p.145)

とはいえ、クルツが本当はどんな人物であるのか、どんなことをかんがえてあのような振る舞いをしていたのか、というところはやはり最後まではっきりとしない。読者はコンゴの闇の奥、クルツの闇の奥、語り手であるマーロウの闇の奥、時代の闇の奥をぼんやりと感じとることはできるものの、それを覗きこんでみたところではっきりとした何かが見つかることは決してない。闇はどこまでいっても闇でしかなく、人はその奥の奥を見通すことなどできはしないのだろう。

どうだ、彼の姿が目に浮かぶかい?話の筋道が見えるかい?何かわかるかい?俺は何だか君らに夢の話でもしているような気分だよ――虚しいことをしているようなね。というのも、夢の中身をどう語っても、夢の感覚は伝えられないからだ。あの馬鹿らしさと驚きと当惑と反感の混ざり合った感じ。何か信じがたいものに捉まってしまったという思い。それこそが夢の本質なんだが……(p.69)

……そう、それは不可能だ。どんな経験であれ、生で感じたままを他人に伝えるのは不可能だ――生の感覚こそが、その経験の真実であり、意味であり――捉えがたい深い本質なんだが。不可能なんだ。人はみな独りぼっちで生きている――夢を見る時に独りぼっちなのと同じように……(p.69,70)

自分の感じたそのものを他人に伝えることは決して叶わない、そうわかってはいても、でもやっぱり語らずにはいられない。クルツと出会った人びとが彼のことを熱っぽく語ってしまうのは、自らの得た生の感覚、闇の奥で得体のしれないものに邂逅したというその真実を、どうにか言葉にして整理してしまいたい、という強烈な欲求があったからなのかもしれない。…って、俺はまるで小説内の人物たちが実在するかのような書き方をしちゃっているけど、なんていうか、いわゆるリアリティみたいなものとはまた別の、ふしぎな手応えを持った小説なんだよなー、とはおもった。切実さというか、本気な感じが一文一文に充満しているような。