- 作者: J.L.カー,J.L. Carr,小野寺健
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1993/10
- メディア: 新書
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正直言って大した小説ではないとおもうのだけど(美しい小品、ってところか)、この作品には夏の美しい日々への憧憬がぎうぎうに詰められていて、それが俺にはちょっとぐっときてしまった。
ああ、あの頃………それから何年ものあいだ、ぼくはその幸せを忘れられなかった。音楽を聴いていて、ふっと昔に帰っても、思い出は何ひとつ変わってはいない。いつまでもつづいた夏の終わり。来る日も来る日もあたたかな天気がつづき、夜の訪れるころには呼びかわす人の声が聞こえ、闇の中に明かりのついた窓が点々と見え、夜明けには麦畑のざわめく音が聞こえて、収穫を待っている麦の匂いがする。(p.117)
いくら執拗に求めてみても、ぼくらには、かつては永遠に思えたものを二度と手にすることはできない。野原にぽつんと立っていた教会、鐘楼の床のベッド、なつかしい声、愛した顔――。すべては去って、あとはただその苦しみが消えてくれるのを待つしかない。(p.153)
「ああ、あの頃………」って、もう読んでいて恥ずかしくなるくらいにセンチメンタル過剰なのだけど、でも夏って季節が絶えず放ち続けるノスタルジアには、どうしたってそんな、恥ずかしさなんてかえりみないぜ、っていうような強烈さがあるのかもしれない、とはおもう。空の澄んだ青色とかそれに映える鮮やかな緑とか、むっとする空気とか蝉の鳴き声とか、そういうものだけで十分だ、っておもえるような高揚感がたしかに夏にはあって、そしてそれは、そんな季節を通り過ぎてしまった後ではひどく眩しく見えるものなのだろう。