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『紫色のクオリア』/うえお久光

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

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ラノベ好きな友人がこれおもしろいよー、って言って貸してくれた一冊。渡された本の表紙を見て、まじかー、ちょっときついかな…とおもい、タイトルからはもじゃもじゃ頭の脳科学者の顔がおもい浮かんで、俺、きっとこの本と相性よくないよ…なんておもったのだけど、いやいや、これはたしかにおもしろい小説だった。

物語は、中学生の女の子マナブと、その親友の、自分以外の人間がみんなロボットに見えるって少女、ゆかりを中心に描かれていく。登場人物のキャラクターとか会話の感じ、ひとつの段落の短さ、文章のテンポのよさ、描写のぺらぺらっぷりなんかはまあラノベっぽい感じだとおもうのだけど、軽めのSF、って気分で読んでいる分にはとくにいやな感じはしなかった。

第一話では、彼女たちの中学校における日常風景のスケッチみたいなものを中心にストーリーが展開していく。これだけだと、小さな箱庭のなかで登場人物たちがちょこちょこ動くのがかわいらしくていいねー、っていうくらいなのだけど、第二話に入ると量子論やら並行世界やらって要素ががんがんに投入され、せっかく作り上げたその箱庭の平和を一気に粉砕、気がついたときにはなかなかダークでシリアスな雰囲気のSFになっている。この、物語の強引なブーストっぷりがすごい。とにかく展開がむちゃくちゃ早いのは描写が常に最小限だからなのだろうけど、その早さ、脇目も振らない感じが主人公であるマナブの心情とうまくシンクロしていて、読ませる。

何よりぐっときたのは、マナブが物語をブーストさせる動機のところで、やっぱり人を何より強く駆り立てるものっていうのは、失われたものへのおもいだとか、そのものを失ってしまったことへの後悔だとかそういうものなんだな、って改めておもった。失われた親友の命を取り戻す、っていうただそれだけのために、彼女は無限の並行世界を駆け巡ってはとにかくもうどんなことでもする。彼女のやることは本当にむちゃくちゃもいいところで、小説としても破綻すれすれのところを行くような感じがあるのだけど、底のところにある気持ちが一途だから、どうしたって心動かされてしまう。うんうん、わかるよ、そういう気持ちは、なんておもってしまったりもする。

あたしは確かに、ゆかりと同じモノを見ることはできない。
でも、よく考えてみれば、それはゆかりだけではなく、天条とも、両親とも、同じ目を持つ人間であっても変わらないのだ。結局のところ人間は、そういうふうにできているのだ。たとえ同じ瞳を持っていても、『赤いりんご』に感じた『赤さ』を他人に伝えることはできないし、他人が感じた『赤さ』を知ることもできない、交わらない存在として。/
放っておけばいつまでも、どこまでも、交わることのない存在で、だからこそ、お互いに手を差し伸べる。互いを引き寄せようとする。そうしなければ平行線は、近づくことすらできないから。放っておいては交わらない――だからこそ、自ら手を伸ばす必要があって、だからこそ、手を伸ばしたいと、伸ばしてほしいと、近づきたいと、願う――(p.107)

この辺りが作品を貫くモチーフになっていて、ハードな展開になっていっても、他者と近づきたい、繋がりたい、っていう純粋な願いが底のところにあるのがいい。