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『移動祝祭日』/アーネスト・ヘミングウェイ

移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)

パリで過ごした若かりし日々のことを回想しつつ綴った、ヘミングウェイの遺作エッセイ。奥さんとつつましいながらも幸福な暮らしを送っているようすや、パリの街の描写がもうひたすらに輝きまくっていて、とにかく眩しいとしか言いようがない一作だ。

ただ、作家たちとの交流や、小説を書くことについてのさまざまな試行錯誤なんかにもページの多くが割かれているのだけど、我が強く、プライドの高そうな主観たっぷりの文章はやっぱりいかにもヘミングウェイって感じで、身近にいたらきっとあんまり仲良くなれないんじゃないかって気もする――俺は作品のなかで人の悪口を言ったり、人間性を貶めたりするような作家が基本的にすきじゃないのだ――し、全体的に"いまにしておもえば〜"的ノスタルジアが濃厚すぎるような気もして、ちょっとのりきれないところもあった。

けれど、だからこそ余計に、ヘミングウェイが言うところの"真実の文章"が立ち現れるようなその瞬間には、はっきりと熱が感じられる。たとえばこんなところ。

だが、ときには新しい短編にとりかかっても、先に進めない場合がある。そういうときは暖炉の前にすわって小さなオレンジの皮を絞り、汁を炎の先端にたらして、青い炎がはじけるさまを眺めてすごしたものだ。立ち上がってパリの街の屋根を眺めながら、こう自分に言い聞かせたこともある――"心配しなさんな。おまえはこれまでちゃんと書き継いできたんだ。こんどだって書けるさ。やるべきことは決まっている、ただ一つの真実の文章を書くこと、それだけでいい。自分の知っているいちばん嘘のない文章を書いてみろ"。で、私はどうにか一つの真実の文章を書き、そこからまた先に進む。あの頃、それはさほどの難事ではなかった。なぜなら、自分の知っている事柄、見たことがある事柄、他人が口にするのを聞いたことのある事柄を表現する真実の文章は、必ず存在したからである。(p.23,24)

あの、パパ・ヘミングウェイが、「あいつももう作家としてのピークは過ぎちゃったよねー」なんて周囲で噂されながらも(←たぶん)、自身の若い頃、創作のエナジーに満ち満ちていたころにおもいを馳せている。老いた身体に在りし日のみずみずしさをもう一度取り戻そうとでもするかのような、そんな気持ちの感じられる文章だ。「あの頃、それはさほどの難事ではなかった。」ってところには、ぐっときてしまう。

誰しもきっと、心のなかにずっと残っている暖かい記憶みたいな大切なものがあるとおもう。それを折に触れておもい出すことで、その温もりを感じることで、辛いときでもなんとかやっていくのだ。ヘミングウェイにとってのそんな大事な記憶っていうのはたぶん、若い日のパリでの時間だったんだろうなー、って感じさせる作品だった。そうかんがえると、主観たっぷりのこのエッセイが持つ輝きは、なんだかちょっと悲しい。