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『幻影の書』/ポール・オースター

幻影の書
最近翻訳が出た、ポール・オースターの2002年作。飛行機事故で妻と2人の子供を失い、生きる気力をすっかり無くしていたデイヴィッド・ジンマーを救ったのは、ある一本の無声映画だった。映画の主演であり監督でもある人物、ヘクター・マンは過去に謎の失踪を遂げており、すでに死んだものとされていたのだが、デイヴィッドがヘクターの映画について調査していくうちに、そのややこしい人生が明らかにされていく。そして、やがてはデイヴィッド自身の生とヘクターの運命とが奇妙に交錯していくことに…!

作中作や、登場人物の語る物語の存在感が強烈なのがオースター作品の特徴のひとつだとおもうけれど、今作においても、物語内の物語たちは相互に結びつき、最終的には小説全体に大きく揺さぶりをかけるようになっていく。とくにヘクター・マンの映画を描写したシーン、その映画についてジンマーが語るシーンはどれも印象的な細部に満ちていて、いちいちおもしろい。

まず我々の目を捉えるのは彼の動き方である。その無数の異なったしぐさに我々は魅了される。足どりも軽く、すばしっこく、どうでもいいさと言いたげに悠然と、ヘクターは人生の障害物競争をくぐり抜けていく。ぎくしゃくしたところも、怖がっている様子もまったく見せずに突如方向転換し、ひらりと身をかわしてギョッと立ちどまり、ホップ=ステップの二段跳びを決め、ルンバよろしくクルッと身を回転させる。その指がコツコツそわそわ動くさまを見てほしい。絶妙のタイミングで吐く息を、何か予想外のものが目に入ったときの首の傾き具合を見てほしい。これらミニチュアの軽業は、むろん人柄の発露にほかならないが、それ自体見ていて楽しいということも間違いない。ハエ取り紙が靴底にくっつき、小さな男の子に投げ縄で捕えられても(かくして両腕は脇腹に釘付けにされる)、ヘクターは並はずれた優美さと落ち着きをもって動き、じきにこの難局から身をふりほどけるものと信じて疑わずにいる――実は隣の部屋で、次の難局が待ちかまえているというのに。気の毒というほかないが、物事はそういうふうになっているのだ。肝要なのはどれだけトラブルを避けられるかではなく、来てしまったトラブルにどう対処するかなのである。(p.35,36)

あと、今作では、全編通してストーリーのおもしろさがはっきり牽引力を持っていて、構成もずいぶんと緻密なものになっている。プロットの要請を無視した偶然の暴走がいっぱいあったのが初期のオースターだったとおもうのだけど、もっとしっかりと物語が前進していく感覚が強い。そんな力強さで語られていくのは、現実というものの予測のつかなさや制御の効かなさ、存在するということのふしぎさ、曖昧さといったものだ。

人生とは熱病の生む夢だとヘクターは思い知った。現実とはもろもろの虚構と幻覚から成る無根拠な世界であり、想像したことがすべて実現する場なのだ。(p.165)

書くことと生きること、フィクションとノンフィクションとが偶然の連鎖のなかで次第に絡まり合い、影響を与え合うなかで、やたらに奇妙な物語が形成されていく、その展開の仕方はまさにオースター的と言っていいもので、ひさびさの翻訳もじゅうぶんにたのしめた。

ただ、やっぱりどうしても、俺にとってのオースターの最高傑作は『孤独の発明』だし、いちばんすきなのは『偶然の音楽』だし、どうもここ最近のストーリーテラーっぷりが発揮された作品たちは、ちょっと違うんだよな…なんか情緒過多っていうか…、って気分になったりもしたのだった。ま、単におもい入れの違いなのかもだけど、もっと物語の引力から離れて理念や謎をこねくり回しちゃうような、脱線しまくりの小説をまた読みたいなー、なんて。