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『羽生 「最善手」を見つけ出す思考法』/保坂和志

羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)
9月に旅行していたときだったかな、ネカフェのテレビで、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』が棋士の羽生善治と森内俊之の名人戦を特集していたのを見たのだった(たぶん再放送のやつ)。番組のなかで、羽生は、「一生かかって自分の将棋をつくっていく」という趣旨のことを話していた。

それってどういう意味なんだろう、ってことがわりと長いあいだ頭の片隅にひっかかっていたんだけど、保坂和志の『羽生 「最善手」を見つけ出す思考法』を読んでいると、

つねに最善手を考えようとしつづけるのが羽生の将棋であり、棋風に頼らず最善手を考えつづける意志の強さを持続させることのできた者が勝つ、というのが羽生の将棋観だ。/「勝つために戦う」「勝つために考える」という風にあまり考えない方がいい。棋士が考えるのは勝つためではなくて、その局面での最善手を見つけるためなのだ。(p.41)

前提として、羽生はつねに「将棋というのはつまり、どういう結論になるのか」ということをいつも考えながら指している。
そして、「その時、その棋士がどういう将棋の結論を持っているかということは、結構大きなことだ」と言う。これがすべてのプロ棋士にとって、どこまで明確に意識されているかはわからない。しかし、羽生自身に関して言うなら、羽生の指し方は、ある意味で一局の勝敗以上に、そのときどきの羽生の将棋観に基づいて――将棋観を検証するために――選択されているということになる。(p.120,121)

っていう記述があって、なるほどなー、っておもうのと同時に、テレビに映し出されていた2人の姿をおもい出して、圧倒されるような心持ちにもなったのだった。映し出されていたのは、まぎれもなく全力をふりしぼって将棋を指している、全力をふりしぼって生きている2人のおっさんの姿で、しかもそこには一戦一戦の勝敗がどうの、っていう以上に、もっと何か大きな、自分の将棋をつくる、将棋ってものの結論を探求する、ってことがあって、そのために人生を使うのってなんて充実したことなんだろう、なんて濃密なんだろう、って。番組を見終わった深夜2時頃、ネカフェの椅子に沈みこんでぼうっとしていると、なんだかするっと涙が出てきそうにすらなったのをおもい出したのだった。

そのときはうまくことばになっていなかったけど、たぶん、俺はいままでにそんな風に全力をふりしぼって何かに相対したことが、生きたことがあっただろうか、そもそも全力をふりしぼろうとしたことなんてあっただろうか…、なんて、かんがえても仕方のないことばかりを、焦りと諦めの入り混じったような気持ちで、頭のなかでぐるぐるさせていた…んだとおもう。