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『ウェブ時代をゆく――いかに働き、いかに学ぶか』/梅田望夫

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

  • 作者:梅田 望夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/11/06
  • メディア: 新書
うーん、熱い。オプティミズムが貫かれたビジョンや性善説につくことの重要性を説きつつ、サバイバルすることがなによりだいじ、って姿勢はとても納得できるし、好感がもてる。読んでいると、ついついテンションが上がってしまう。梅田氏はなかなか大したアジテーターだ。

何度も語られるのは、自らのコモディティ化には「病的なまでに心配性」であれ、そしてこれからの社会では「自助の精神」にもとづく「勤勉の継続」がとにかく重要だ、ということ。まあ、それはそれでとても正しい回答だとおもう。サバイヴするためには、力をつけなきゃならないんだから。

ただ、チープ革命によって万人にひらかれた自由競争のなかで負けること、夢を追いきれないこと、っていうのはつまり、仕事のつまらない部分や単純労働、とにかく誰かが(いやでも)やらなきゃならないこと、を引き受けることに繋がってくるんだろうなー、っておもった。そうなると、誰もがすきなことをするという「総表現社会」の暗部は、そうでない社会のそれよりも厄介なものでない、とはぜんぜん言えないよなー、なんてかんがえてしまったり。まあもちろん、梅田氏はそんなことは十分承知のうえでオプティミズムの側についているわけで、その力強さっていうのは、やはり読んでいてこっちも熱くなってしまうのだけど。

あと、細かいところで興味をひかれたのは、これから就活、って俺にはやはり、「好き」を見つけて育てていくための思考法、という、「ロールモデル思考法」のはなしだった。

たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」(中略)など、人生のあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
自分の内から湧き出てくる何かが具体的に見えずとも、「ある対象に惹かれた」という直感にこだわり、その対象をロールモデルとして外部に設定する。そしてなぜ自分がその対象に惹かれたのかを考え続ける。それを繰り返していくと、たくさんのロールモデルを発見することが、すなわち自分を見つけることなのだとだんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデルの総体として、外側の世界からはっきりとした形で顕れてくる。(p.120)

そうなんだよなー。自己分析とかやってても、こういうのって実感する。自分が本当にすきなものっていうのは、まさにこういうかたちではっきりしてきてたんだな、って気がつくというか。 “自分”なんてものは、自分がおもっているほど確固としたものでも、オリジナルなものでもないのだった。たとえば、人の感情とか思考にしたって、その多くは学習の成果なのであって、外部から(自分の内部には)もともとないものを、視覚なんかを通じて取りこんでいく過程で、“感情”、“思考”として分節され、形成されていくものだ。内面っていうのは、自分だけの完全にオリジナルなものではあり得なくて、もっと他人との境界が曖昧なもの。だから、感情や思考を豊かにしていこうとおもったら、自分の内面を見つめているだけではなくて、その表現の方法を外側から吸収して、獲得していかなくてはならないはずだ。梅田氏みたいにはっきりと思考法として確立してはいないにしても、たぶんみんなこういう感じで自分ってものをつくっていくんだろうとおもう。