いわゆるポストモダン状況においては、歴史とはそもそもナラティヴなものであり、多元的、複数的なものである、といったことがおおく論じられてきた。現在、文化相対主義はもはや当然の了解だといっていい。歴史とはつねに言説的なかたちでしかあらわれ得ないし、歴史叙述は記録者のバイアスを反映したものだ、という見解を否定するものはすくないだろう。
だが、じっさいにアボリジニのオーラル・ヒストリーについて、アカデミックな近代的知であるところの歴史学の文脈でそのまま引きうけることはほとんど不可能である。なぜなら、そこにはいわゆる歴史学にとっての「正しい歴史」には到底うけいれることのできない、「史実」にもとづかない歴史物語(「非論理的、非科学的、超自然的な」)が数おおく存在しているからだ。たとえば、アメリカのケネディ大統領がアボリジニの長老と直接会って、それをきっかけにアボリジニの土地返還要求がおこった。だとか、あるアボリジニの長老が大蛇に依頼して洪水をおこし、牧場を流してしまった。といったエピソードがある。
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保苅は、そのような自らにとっての「危険な歴史」を排除しようとする、現代の歴史学の政治性、権力性を批判する。そして、「アボリジニの長老の話」というオーラル・ヒストリーを認めた上で、西洋近代に出自をもつ学術的歴史分析と、アボリジニの歴史実践とのあいだのコミュニケーションの可能性を考察し、両者が共有できる、歴史経験の真摯さ(experimental historical truthfulness)とはどのようなものとしてありうるのかを探求していく。
保苅は、記憶論や神話論の研究者たちのとる姿勢について、彼らは「アボリジニの人々は、ケネディ大統領がグリンジの長老に出会ったと信じている」「…とみなされている」「…とされている」と述べるだけであって、それは結局のところアボリジニの言説を「掬い上げて尊重する」という身振りにすぎない(p.26)、と批判している。彼らは、多元主義をうたい、異文化を尊重する姿勢を見せてはいるけれど、ほんとうは相手の歴史観をうけいれているわけではない。相手の歴史観を排除するわけではないものの、いわば包摂してしまうことで――ああ、あなたはそういうふうに信じているんですね、あなたにとってはそういうものなんですね、というように――自らの歴史観にとって、無害なものに変えてしまおうとする傾向がある。アボリジニの言説をある種のアナロジーや「神話」としてとらえることは、知識関係の不平等にもとづく権力作用の働きに他ならない。単に、マジョリティによって管理されるマイノリティ、という位置づけをおこなうことにすぎないのだ。
もちろん、保苅の主張はよくかんがえれば当然のものだ。人がアナロジーを用いるのは、イメージを豊かにしたり拡散させたりするためではなく、語りをある一定の目的に向かって絞りこむためだ。他者のなんらかの言説をアナロジーや、なにかを表象するものとしての神話としてとらえることは単なる一方的な解釈であって、双方向的な理解に結びつくものではない。
保苅は、西洋の歴史家による歴史、アボリジニの人々による歴史、そのさまざまな形態が共に存在する多元的歴史時空を想定する。そしてその内で双方向的なハイブリッド化による、「ギャップごしのコミュニケーション」というものの可能性について模索していく。この、いっけんユートピア的なオプティミズムが熱い。「人が過去を経験する歴史時空というのは、根源的に多元的なので、決して追体験したり理解できないような、決して埋まらないギャップが厳然としてある。(中略)ただ、ギャップはあるけれど、ギャップごしのコミュニケーションは可能なのではないか」(p.27)
ここでなされているのは、歴史の正当性がどのようなものとしてありうるのか、といった考察ではない。むしろ、どのようなコミュニケーションのかたちが可能なのか。いかに共存することができるのか。ということが問題になっている。
保苅はそのようなギャップごしのコミュニケーションとしての歴史学、を従来の参与観察やインタビューの形式にはよらずに、現地の人々とともに歴史実践をしていく、フィールドワーク形式(具体的には、アボリジニの人々と生活を共にし、長老のはなしを聞く)でのオーラル・ヒストリーによって実践する。そしてその結果、「もし私に十分な感受性があり、精霊を信じる環境に育ったなら、私は精霊たちをはっきりと見たことだろう。私が精霊をみたことがないという事実は、私が知覚しないひとつのリアリティに、精霊たちがいないことを意味しない。」(p.196)と明言するほどの地点にまで導かれていくことになる。
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アボリジニの語る物語にたいして敬意をあらわしたり、評価したりするだけではなく、そこからさらに一歩踏み込んだ地点で、あらたな歴史のありかたを考察すること。そうすることで、近代の西洋知だけにもとづいた従来の思想や歴史学をぬけだすことができるのだろう。保刈は、西洋的知の内部からアボリジニの言説を分析するのではなく、アボリジニの人々との現地での歴史実践によって、双方向的なコミュニケーションの可能性を生みだした、といえそうである。
だが、他者とともに歴史実践をおこなうことでほんとうの意味で多元的な歴史理解が可能になるのだとすれば、もはや他者に語られることのないできごと、消された歴史といったものは、どのように多元的歴史空間に位置づけることができるのだろうか、という疑問はある。それはオーラル・ヒストリーという歴史研究の方法の限界についての疑問でもある。ただ、もちろん、所謂「歴史的真実」より、「歴史への真摯さ」についてかんがえる姿勢のほうが他者に対してひらかれている、というのはたしかなことだろう。